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ソ・ソンドク(ポピュラー音楽評論家)
写真BIBI YouTube

「Bam Yang Gang」の第一印象は、BIBIというアーティストとこの歌の雰囲気をどうやって一つのものとして受け止めるかにかかっている。BIBIは数曲のフィーチャリング以外にレコーディングアーティストとして世に出る前に、『The Fan』などのテレビのコンテスト番組で大衆的な認知度を上げた。同番組に出演したアーティストのうちほとんどが多かれ少なかれ既存の活動記録を持っていたのに比べ、BIBIはその中でも「隠れた宝石」というより「新人」に近かった。他のアーティストまたは有名人の推薦で参加者を選ぶというこの番組のルールを勘案すると、BIBIが地上波のテレビ番組でその名を知られる機会を得たのはラッキーなことだ。だがその番組で準優勝するのはまた別の話だ。さらにはその準優勝が、SoundCloudに自作の曲をアップしていた高校生という過去と、有名バラエティ番組のレギュラー出演者であり人気アーティストという現在を繋ぐ架け橋になるのは完全に別の次元だ。そしてその架け橋は直線ではなくとても複雑に絡まっていて、繋がっていないように見えるほどなのでより興味深い。

『The Fan』のBIBIが地上波のコンテスト番組という条件の中で、選曲とパフォーマンスを選び、その中でもどこか暗い自我を表現していた時も、デビュー曲「BINU」を予想した人は数少ない。大衆音楽で暴力的な言葉や罵倒にどれほど慣れていても、BIBIが「あの女 あれはおかしい」と歌った時の馴染みのない感じは、さまざまなことを考えさせる。その表現は慣用句に近く、文学的な古風さと日常性を同時に放つ。他人の言葉、あるいは噂のような文章を借りて自分自身を指し示す構造は、ちょっとした快感を呼ぶ。あなたがBIBIをいつから認識していようが、それが『The Fan』であろうと『女子校推理部』であろうと、ミュージシャンとしてのBIBIの語り口は、「BINU」から始まり『Lowlife Princess: Noir』の周辺に戻っていく(「BIBI Vengeance」)。2010年代中・後半以降一つのシーンを形成するのに不足はなかった韓国R&B市場でも、BIBIの大衆的な立ち位置と音楽的な自由さの結びつきは特別だ。自身が作る音楽と自然人としてのパーソナリティの分離ができる数人のプロデューサーが例外的にいたからこそ、活動領域の拡張が可能だったケースだ。

「Bam Yang Gang」の情緒は一度きりの例外かもしれないし、もう一度行われた方向転換かもしれない。どちらにしてもそれを例外や転換として受け止める理由は、BIBIの既存の音楽的路線とは差別化された溌剌とした感じが際立っているからだ。そしてその差別性はチャン・ギハという外部から来ている。チャン・ギハは、遠くは韓国フォークとサイケデリックから、近くは1990年代末から続く韓国インディロックの情緒と歌詞を継承する代表的な存在だ。細かな感情のテクスチャーを分けて見るなら、チャン・ギハの独特な歌唱法と湿り気のある雰囲気よりは、Broccoli you tooやOkdalなどの女性シンガーソングライター系と比較することもできる。だが、チャン・ギハ特有の日常についての鋭い観察、韓国語の歌詞に対する絶え間ない探究、特に特定の物事にテーマを投影する方法論などに集中すると、「Bam Yang Gang」がチャン・ギハの作品だということは自然にわかる。同時にこの歌がBIBIのもとにたどり着いたのも驚くことではない。そうしてこの曲は完成された。

なぜ完成なのか。BIBIは「Bam Yang Gang」をR&Bでもなく、ロックでもなく、K-POPアーティストのように歌う。音楽番組のステージにダンサーとともに上がり、女性ソロのステージでたびたび見られる男性の相手役が登場する。BIBIの以前の活動を知らない人なら、新人歌手のデビューだと言っても信じそうだ。BIBIのどの歌よりチャートで善戦し、他のアーティストやAIのカバーが続く現象は、「Bam Yang Gang」がどれほど広く受け入れられる歌かを証明している。そしてこの歌が異例のインディヒット曲ではなく、今年のK-POPヒット曲の一つとして位置づけられるのはパズルの一部だ。

この歌が与える第一印象の衝突は意外性へ、そして普遍性へと向かう。ミュージックビデオでは依然としてやや尖っているが、BIBIはそれも自分の選択した結果として説明できる。BIBIが自分の領域を広げてきたのと同じ方法だ。そうしてインディロック、R&B、K-POPという、1990年代末以降韓国で自生的な土台を作り、それぞれの成果を積み重ねてきたが、まだ出合ったことのなかったその3つのジャンルは、BIBIという交差点で接点を持った。それは同じ時期にヒップホップとラップが一つの大衆音楽の文法で作動して、世の中のすべてのジャンルと影響を与え合っていたのとは異なる。3つのジャンルはそれぞれ異なる道を歩んできて、おそらく今後も異なる道に進む可能性が高い。今後なかなか見られないこの瞬間は、繰り返されなくても、歌は残って証言するだろう。韓国大衆音楽の歴史において20年以上続いてきたそれぞれ異なる流れが、2024年のある日きらめき、すれ違って行ったと。

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