コ・ヘジュン(訳名:黒岩健太)には家がない。たった1人の家族、母が交通事故で亡くなり、帰る家もなくなった。ペク・ウニョン(訳名:白川玲)にも家がない。彼の幼少期から家で両親に振るわれたひどい暴力のため、彼は心の中から家を消した。コ・ヘジュンは家族のいる家を欲するも家がなくなり、ペク・ウニョンは家族のいる家には帰れず、他の家を探す。2人が初めて出会ったとき、コ・ヘジュンの命まで脅かすほどの殴り合いになったのは悪縁というより、むしろ必然だ。コ・ヘジュンにとって家族は、もう物理的に存在しないものだが、母に愛され育てられた彼には心理的に拠りどころとしている家がある。一方、ペク・ウニョンにとっての家と家族は、物理的に実在するが、心理的にはないほうがましなものだ。夢にでも家族に会いたいと思う人と、夢にでも家族には会いたくないと思う人がハンソル高等学校(訳名:第一高等学校)に通いながら、そこの古い寮で一緒に暮らす。『家がない』 作家・ワナンが最近完結させたこのウェブ漫画のタイトル通り、2人には家がない。ただ、この一文の意味はお互いにとって全く異なる。
「毎回お前を理解しようとしてるけど…お前には逆に俺が変な奴に見えるようだから…話し合ったって意味がないと思う」。2人が数多の喧嘩と仲直りを繰り返しているうちに迎えた2年生の秋夕の頃、コ・ヘジュンはペク・ウニョンに対し、彼らは結局お互いを理解することが不可能だと話す。「これからもこうやって稼げば人生、楽勝じゃん」。ペク・ウニョンが過去に窃盗でお金を稼ぎながら考えたことだ。彼は常習的に嘘をつき、いざといえば窃盗や暴行を働くこともできる。自分の面倒を見てくれる家族がいなくても熱心に勉強し、学校で最上位圏の成績を出して未来に備えるコ・ヘジュンとしては、ペク・ウニョンが全く理解できない。しかし、コ・ヘジュンもまた他人に理解してもらえない瞬間がある。「…レストラン行ったことある?」 2人に続いて古い寮に入寮したパク・ジュワン(訳名:茶谷祐樹)が料理をしているコ・ヘジュンに対し、水にレモンを少し絞って入れてほしいと頼むと、コ・ヘジュンがレモンを半分に切ってそのまま水に入れてしまったことを受けて話したことだ。両親から経済的な支援を受けるパク・ジュワンは、同じ学校の生徒がレストランに行ったことがないかもしれないとは想像できなかった。パク・ジュワンがコ・ヘジュンやペク・ウニョンと知り合って間もない頃、彼はペク・ウニョンが家出をしたことを知り、一緒に歩いていたコ・ヘジュンにこう話す。「あんな奴を間近で見るのは初めてだよ」。その瞬間、2人の後ろの背景が消え、パク・ジュワンとコ・ヘジュンの距離は突然遠ざかったように描写される。コ・ヘジュンは、ペク・ウニョンを理解しがたいとはいえ、本人も経済的に困難な状況に置かれているだけに、なかなか守ってもらえない同世代について知っている。一方、パク・ジュワンにとってペク・ウニョンは、聞いたことがあるだけで、経験したことのない存在だ。
『家がない』第186話「法事と母方の叔父(1)」のタイトル画像には、コ・ヘジュン、ペク・ウニョン、パク・ジュワンが道を歩く姿が描かれている。この絵の中で、3人の姿は体の輪郭だけを残したまま消えており、体の中は別の模様で塗りつぶされている。パク・ジュワンの体にはロケット、ゲーム、バーガー、勉強など、彼を説明するいろんなアイコンがある。コ・ヘジュンの体には汗を連想させる水がある。生活保護を受けながら何とか良い成績を維持し、良い大学に入ろうとする彼の人生には、何であれ汗を流しながら頑張ること以外に、何かが入り込む余力がまだない。そして、ペク・ウニョンの体のほとんどは、形のわからない赤い模様で塗りつぶされている。彼はパク・ジュワンのように何かを与えてもらうことができなかった。コ・ヘジュンのように願う未来もない。同じ学校に通い、同じ道を歩く生徒たち。しかし、彼らの内面は理解し合うことが不可能に思えるほど異なっている。
ところが、「法事と母方の叔父(1)」のタイトル画像で、ペク・ウニョンの体には赤い模様の他にもコ・ヘジュンと同じ水滴がちらほら見える。自分のために新しい寮に入ることを諦めたと知って以降、彼はコ・ヘジュンのために朝食を作る。コ・ヘジュンが自分の問題を解決してくれる過程で携帯電話が壊れると、修理代を弁償しようともする。もっぱら自分の生存だけを考えていた少年が、善意を見せてくれた人にお礼をし、申し訳ないことに対する謝罪をする。コ・ヘジュンは、ペク・ウニョンを理解できなかった。しかし、ペク・ウニョンを変化させた。ペク・ウニョンの観点からすると、『家がない』は自分を理解してくれない人たちが、それでも自分の友達になり、自分を変えてくれる物語だ。コ・ヘジュンやパク・ジュワン、彼らに続いて登場するキム・マリ(訳名:桃川彩)、カン・ハラ(訳名:栗村香織)、コン・ミンジュ(訳名:紫月まどか)は、各自の最初のエピソードで過去の話が明かされる。一方、ペク・ウニョンは連載開始から1年5か月が経った後の「カン・ハラとペク・ウニョン(1)」から過去の話が少しずつ明らかになる。公開された彼の過去には、彼にしばらく温かく接してくれた教師もいた。この教師は自分のつらかった10代を回想し、ペク・ウニョンに感情移入する。しかし、ペク・ウニョンが期待を裏切ると、「いつまで経ってもあんたは変わらないね」と背を向ける。彼女は自分の過去からペク・ウニョンを捉え、評価し、温情を施しては断ち切った。ペク・ウニョンの過去がずっと公開されなかったため、読者はこの教師のようにペク・ウニョンに対する早まった感情移入をせずにいられた。その代わり、周りから家出、嘘、窃盗、暴力といった単語で定義される現在の彼をありのまま認めるようになる。ペク・ウニョンを「あんな奴」としか思っていなかったパク・ジュワンの視線は、ペク・ウニョンと同じ人生を経験したことのない生徒が持てる視線でもある。とはいえ、パク・ジュワンはペク・ウニョンがコ・ヘジュンと喧嘩したとき、お互いに素直に言えなかった本音を代わりに伝え、仲裁する。小さい頃、柔道選手になりたいという夢を諦めようとしていた友達・カン・ハラを応援し続け、勇気を与えたのもパク・ジュワンだった。他人を理解することは難しい。しかし、理解できなかったその存在と一緒に過ごし、そのうち彼が「あんな奴」ではなく自分の友達になれば、自分なりの方法で近づき、影響を与えることができる。
もちろん、ペク・ウニョンは変わりながらも、変わらない。コ・ヘジュンが校内暴力加害者の濡れ衣を着せられたとき、ペク・ウニョンは自分なりの方法、つまり嘘と暴力を使い、コ・ヘジュンを助ける。ペク・ウニョンは他人を助けられるようになった。ただ、自分が生きてきた方法で助ける。ペク・ウニョンの過去の話は、この点で重要になる。ペク・ウニョンがコ・ヘジュンを助けるのは、他人によって起きた現在の変化だ。だが、人を助ける方法がなかなか変わらないのは、過去から現在に至るまで形成されてきた内面のためだ。母が自分を心から愛し、信じてくれた経験のあるコ・ヘジュンは、人を信じる。彼はペク・ウニョンに幾度となく騙された後も、物を常習的に盗んでいたペク・ウニョンが合法的なアルバイトでお金を稼ぐようになったと聞いて喜んだ。一方、ペク・ウニョンはその瞬間にもコ・ヘジュンに嘘をついた。「嘘が悪いかよ。俺が率直に全部話してたら、俺たちがこんなにうまくやっていけたと思うか?」 ペク・ウニョンは誰かが自分を信じるということを信じられない。彼は両親、特に父の物理的暴力を避けるため、両親の意中を探り、機嫌を取らなければならなかった。間違えたら暴行が繰り返された。両親に気に入られようとあがいていたら、幼少時代は「自分があまりにもバカバカしく情けなくて、思い出したくもない記憶」になった。そうするうちに彼は、自分が思うには誰かが信じてくれるには最低な人間になった。「あんな親のもとで育ったからといって、みんな俺みたいにはならない。昔からそうだった。俺はどこかズレていた。自分が怖い」。ペク・ウニョンが天賦の才能を持っていると言っていい演劇をしたがらないのは、小さい頃の演劇活動が両親の暴力として返ってきたからだけではないだろう。彼は両親、特に父の機嫌を取るため、生まれつきの演技力を両親を騙すことに使った。最も好きなことを、自分を最も惨めにさせる状況でしなければならなかった。ペク・ウニョンは両親から愛の代わりに、自己嫌悪を教えてもらった。
その点で、学校が大事だ。ハンソル高等学校で生活する前、ペク・ウニョンにとって世界は、家と家の外だけに区切られた。「そんな家に自分を曲げて帰らなければならないくらい外は生易しいものではなかったし、そんな外にまた出ていかなければならないくらい家も生易しいものではなかった」。両親に守ってもらえなかった子供が家を出ると、外には子供を守ってくれない世の中がある。家出した青少年を受け入れてくれるシェルターは埋まっている。アルバイトをするとしても、1か月分の給料をちゃんともらえるという保障がない。友達や先輩との喧嘩に巻き込まれ、本当に死ぬかもしれない。とはいえ、家に帰ったら、自分自身を嫌悪させる両親の暴力がある。コ・ヘジュンとペク・ウニョンがどちらも背が高く、喧嘩ができるのは、むしろ現実的な設定とも言える。社会システムが10代を守れないとき、物理的な力は再び生存のための重要な条件になる。家出に追い込まれる韓国の10代を肉体的、精神的に追い詰めて死なせるメカニズムとも言っていいこの負の連鎖から抜け出す方法は、何としてでも学校にいることしかない。ハンソル高等学校は、成績順で古い寮と新しい寮に入る生徒が決まるほど成績を重視し、競争をけしかける、韓国によくある高校の中の1つだ。ここには校内暴力を振るう生徒も、困っている生徒に無関心な教師もいる。しかし、そのすべての問題にもかかわらず、学校は基本的にペク・ウニョンを家と社会の両方から守ることができる。ペク・ウニョンの両親も、彼に付きまとう不良先輩たちも、学校の許可なしには簡単に立ち入りできない。ハンソル高等学校の古い寮がコ・ヘジュンとペク・ウニョンの家でありながら、他の生徒たちには寮の役割をするところは象徴的だ。居場所のない生徒たちにとって、寮は家に他ならない。同時に、寮として自分とちがう人生を送る生徒たちと共存する社会的な空間になる。ペク・ウニョンは10代のアポカリプスのような家と社会を離れ、学校に来ることでようやく生存で精いっぱいの人生から抜け出せる。料理をし、家を掃除し、友達に会う。そして、法律によって守られるアルバイトをし、自分でお金を稼ぐ。そのお金で買いたい食材を買って料理をしたとき、ペク・ウニョンはこう思った。「こんな生き方もできるんだ」と。ペク・ウニョンが、こんな生き方をするようになったのだ。安全な空間で、何かを願える、社会的な人間として。
『家がない』でコ・ヘジュンの名前をタイトルにしたエピソードは、「コ・ヘジュン」で始まり、「コ・ヘジュンの家」で終わる。母の不在とともにコ・ヘジュンの家をなくしたコ・ヘジュンは、良い大学に合格し、社会に出る準備を整える。母はいないが、自分の新しい家を探していく過程と言える。彼は『家がない』の後半、夢の中で母に会い、それまでの感情を吐露したりもする。一方、ペク・ウニョンの名前をタイトルにしたエピソードは、「ペク・ウニョン」で始まり、「ペク・ウニョン2」で終わる。ペク・ウニョンの2つ目の話、または2人目のペク・ウニョン。コ・ヘジュンの大学入学が決まった後も、1学年下のペク・ウニョンは古い寮に住み続ける。心理的にも物理的にも、ペク・ウニョンはまだ両親なしで暮らす自分だけの家を探すことはできなかった。しかし、彼は過去とはちがう「ペク・ウニョン2」だ。彼がコ・ヘジュンと古い寮で2年近く過ごした後、ペク・ウニョンはコ・ヘジュンが自分の話を聞けない状況で告白する。「だから、お前にももっといいところに行ってほしい」と。
ペク・ウニョンとコ・ヘジュンの間で喧嘩が絶えなかったそのときも、ペク・ウニョンはコ・ヘジュンのことが嫌いではなかった。コ・ヘジュンも自分と同じく帰る家がないと思ったからだ。彼より少しでも良い環境にいる、少なくとも子供を探しに来てくれる親を持つ子供たちは、いつも彼を残したまま家に帰った。より良い人生を考えられない人が寂しくならないために、友達が同じ境遇であってほしいと願う気持ち。ペク・ウニョンの過去を知っていれば、この気持ちに同意はできないとしても、理解はできるかもしれない。しかし、2人目のペク・ウニョンはその気持ちからさらに一歩踏み出し、コ・ヘジュンが「もっといいところ」に行くことを願う。ペク・ウニョンはもう他人が自分と同じであってほしいと願わない。コ・ヘジュンとハンソル高等学校の友達たちがそうであるように、ペク・ウニョンも自分と他人がそれぞれちがう存在だということを受け入れる。そしてその始まりは、自分の存在を否定しないことだ。「だから自分がそんなに憎くない」。ペク・ウニョンの過去の話は、彼がなぜ今のペク・ウニョンになったのかを理解させる道具ではない。コン・ミンジュの母、オム・スヒョンは、顔に傷跡がある。傷跡ができた理由は明らかにされない。ただ、オム・スヒョンが10代の頃、家族のせいで大変な思いをして過ごしたことは描かれる。優しい大人になったオム・スヒョンにとって過去は、顔の傷跡のようなものだ。自分のどこかに確かに残っている。しかし自分は、生きていく。「ペク・ウニョン2」になったペク・ウニョンの過去も同じだろう。彼の過去は両親に支配された。しかし、彼は友達と一緒に現在をつくっていく。
「ペク・ウニョン」からパク・ジュワン、キム・マリ、カン・ハラ、コン・ミンジュが初めて登場するそれぞれのエピソードで、『家がない』のタイトル画像は彼らの姿とおぼしき輪郭線だけを残し、その他は消す。エピソードが展開されていくにつれ、画像に具体的な内容が加わり、人物の正体と彼が直面した状況、空間的背景が明らかになっていく。これは、『家がない』が個人と世界の関係を示す方法でもある。作家・ワナンは、人物の物理的な状況と心理的な状況を正確に区分する。人物が道を歩いたり、人と会話をしたりするときは、背景のほんの小さな1つの要素まで精緻に描く。一方、人物が心理的な問題で自分だけの考えに耽るときは、すべての背景を消し、人物の心理状態を劇的に表現する。ペク・ウニョンを苦境から助けてあげたにもかかわらず、彼に自分の携帯電話を壊され、逃げられた後、コ・ヘジュンは悲しい目で「心豊かな秋夕をお過ごしください」という文言が書かれた広告物を見る。そのとき、コ・ヘジュンの周りのすべての背景はもちろん、口まで消える。物理的な空間と心理的な内面が視覚的に極端に分離されることで、個々人の心理は物理的な空間以上に巨大かつ複雑になれる。物理的な空間の中で人は小さな存在だ。しかし、世界が自分にしたことを受け止める各自の内面は、計り知れないほど巨大で深い。
『家がない』に登場するすべての生徒が持つ心理的な問題は家族、特に両親から始まる。正確には、そうなるしかない。ペク・ウニョンは家を「俺にどんなことが起こっても、誰も口出しできない場所、家」と定義する。家は閉ざされた空間で、物理的に非力な幼い子供が絶対的に弱者であるしかない。体格が大きくなったペク・ウニョンは、今では父に暴行を振るわれない。一方、体格が小さく力の弱い女性のキム・マリは、変わらず兄に暴行を振るわれる。小さい頃、兄の暴力によってできた額の傷について、「昔のこと」だから目立たないだろうと話すキム・マリに対し、ペク・ウニョンは「目立つね」と話す。閉ざされた空間である家は、子供にとって世界のすべてであり、家族から受けた暴行は一生、物理的、心理的な傷を残し、子供の人生に長く影響を及ぼす。キム・マリが何としてでも寮に入ろうとした理由、そのために新聞部の部長である彼女がスクープを取って部活動の実績を上げようとした理由は、すべて家族との間で経験した問題から始まる。些細に見える家族のことが1人の内面に巨大な問題を引き起こす。しかし、世の中はその問題についてなかなか向き合い、理解してくれない。特に非力な10代なら、なおさらだ。ペク・ウニョンは髪が長いという理由だけで教師から偏見の目で見られ、コ・ヘジュンは校内暴力の被害者を助けようとして加害者にされるが、同じクラスの生徒たちは彼を信じるのではなく、別の窃盗事件の有力な容疑者にして孤立させる。帰る家がないという状況だけで、コ・ヘジュンとペク・ウニョンは学校の中で弱者だ。彼らは厳しい学校生活と、さらに厳しい外の世界との境目でなんとか凌ぐ。母が心の支えになっているコ・ヘジュンは、勉強を頑張ることで学校の中で生き残ろうとする。なんの拠りどころもないペク・ウニョンは、ハンサムな顔を利用して他人に媚びを売り、心の中では他人を疑い、攻撃にはさらに強く抗いながら、学校の外側に押し出されないように努める。
母が亡くなった後、コ・ヘジュンのもとを生まれて初めて会う叔父が、記憶から消えた父が訪ねてくる。人を信じるコ・ヘジュンは2人を受け入れようとする。一方、ペク・ウニョンは2人の意図を疑う。結果的に2人の選択は、1回は正しく、1回は間違っていた。個人の価値観とは関係なく、世の中では何が起こるかわからない。ただ、その選択は、家族、学校、社会によって形成された生き方が生んだ結果だ。だが、コ・ヘジュンとペク・ウニョンのように、10代は友達の生き方から影響を受け、世界を見る視線を変えることもできる。家族から始まった個人の問題が社会に影響を及ぼし、その影響がまた個人の人生に影響を及ぼす。生き方、学校の成績、額の小さな傷までも。『家がない』は6人の10代が経験したミクロな個人の物語を通じて、家庭、学校、社会が1人の個人に及ぼす影響に関するマクロな視線を示す。そして、そのすべてから影響を受けた個人の心を奥深くまで掘り下げ、根本的な問題の解決方法を探求する。ペク・ウニョンがなぜ「ペク・ウニョン」になったのかから、どうして「ペク・ウニョン2」に変わったのかを描いたことが持つ意義だ。『家がない』は今の社会が忘れてしまった、家と路上と学校の境目でギリギリ生存している少年の物語を通じて、韓国の10代が家と路上と学校から傷を負って生きていく普遍的な話を描く。ペク・ウニョンは存在する。世の中の皆がペク・ウニョンを理解できないとしても。『家がない』はこの存在を皆の目に焼き付けてみせた。
『家がない』は、執拗な社会分析によって宗教的な瞬間にたどり着く。他の5人の主要人物とはちがい、コ・ヘジュンは登場当初、自分を紹介するタイトル画像がなかった。作品の序盤、タイトル画像の方向性が決まっていなかったからかもしれない。その後のタイトル画像に彼を説明する絵が登場したりもする。ただ、コ・ヘジュンが『家がない』で担う役割を考えると、これは不都合な偶然だ。個人の内面と外側の世界の関係を取り上げたこの作品で、コ・ヘジュンにはそのどちらにも属さない存在、幽霊が見える。彼は幽霊が見えるという理由で幼少期に恐怖に苛まれ、町の子供たちにいじめられた。幽霊は、彼をはじめとする『家がない』の主要登場人物が持つ問題を象徴するものかもしれない。彼らが抱えている問題のように、幽霊はコ・ヘジュンがいくら振り払おうとしても付きまとい、時には誤った方向に導くこともある。コ・ヘジュンは、母に対する恋しさと申し訳なさをある程度心の中で整理したら、幽霊に対する気持ちも楽になった。ただ、コ・ヘジュンに幽霊が見えるということを作品が描いた通りに信じれば、コ・ヘジュンは『家がない』で個人と世界、心理と物理の間にいる特別な存在になる。
コ・ヘジュンは『家がない』で3回大けがをする。最初はペク・ウニョンとの殴り合いでお腹にガラスの破片が刺さったことで、他にもペク・ウニョンに巻き込まれて誰かが振り回したガラス瓶に頭を殴られたり、いつまでも自分を苦しめる父に我慢できず攻撃しようとするペク・ウニョンを止めようとして又もや頭にけがをしたりした。3回とも一歩間違えれば、死に至るかもしれない出来事だった。3回目のけがでは、意識まで失っている。コ・ヘジュンがペク・ウニョンのために3回死にかけ、ペク・ウニョンはようやく内面の傷を克服し、未来に進もうとする。現実では、人を信じるコ・ヘジュンの生き方が生んだ結果と言える。ところが、コ・ヘジュンを特別な存在として捉えれば、彼はペク・ウニョンを救った聖人になる。コ・ヘジュンは、ペク・ウニョンが自分を騙し続けても許し、信じる。ペク・ウニョンが最終的に変わっていく過程は、聖人が迷える1匹の子羊を救うようなものだ。コ・ヘジュンが3回犠牲になり、ようやく子羊のペク・ウニョンが正しい道に進み始める。コ・ヘジュンは、ペク・ウニョンと同じく居場所のない10代だ。まだ世の中の事情を知り尽くしたわけでもなく、他人に無条件に優しくできるほど余裕のある状況でもない。彼も小さい頃、一時はペク・ウニョンのように町のお店で万引きをし、自分を守るために中学時代まで「暴れ馬」と呼ばれる生き方をしていた。それこそが聖人の条件だ。我々と同じ場所に生まれ育ち、同じ人生を経験し、それでも我々とはちがってより高潔な魂になる。ペク・ウニョンが他人に助けてもらうことでより良い道に進んだ一方、コ・ヘジュンは他人を助けることで自分の内面を自分で癒す。母を亡くし、幽霊が見え、人に騙されても、未来に向かって進もうとするコ・ヘジュンを聖人と呼べない理由がない。良い大学に入学した彼は、おそらくどこに行っても多くの人を助けることになるだろう。社会的な観点からすると、『家がない』はペク・ウニョンがコ・ヘジュンをはじめ、ハンソル高等学校の生徒たちと社会的な関係を結びながら、自分を肯定していく過程だ。一方、宗教的な観点からすると『家がない』は、10代の聖人・コ・ヘジュンがペク・ウニョンを救うために行った奇跡だ。
ペク・ウニョンが家出をした後、彼は似たような境遇にある多くの10代と知り合った。彼らのほとんどは、学校のような社会システムの中に含まれず、存在自体が忘れられてしまう。彼らの中でペク・ウニョンだけがハンソル高等学校に入って自分の存在を可視化し、コ・ヘジュンをはじめとする友達たちに出会い、彼が演劇部に入ることを願う人たちができ、彼を支援し続けてくれる担任の教師に巡り合って変化の機会が生まれた。この中で1人でもいなかったら、またはコ・ヘジュンがペク・ウニョンとの絡みで死ぬことでもあったら、ペク・ウニョンの現在は今とはちがっていたはずだ。社会の理想は、福祉制度が、さらには社会の思想がペク・ウニョンを物理的、心理的に安全に育つようにしてくれることだろう。しかし現実では、社会が制度的に与えられないところを、偶然出会う善良な人たちで満たさなければならない。1人の少年が家出をするのは、家族と社会の総体的な問題が生んだ結果だ。この少年を助けるためには、世界中が乗り出さなければならない。これが奇跡でなければ、何を奇跡と言えるのだろうか。そして、ペク・ウニョンは古い寮を離れるコ・ヘジュンに話す。「良い1日を」と。そのすべての人と社会のシステムが集まり、2人の少年が良い1日を願えるようにさせた。今の時代の韓国の10代のための主の祈り、その最初の一句が誕生したと言っていいだろう。皆、良い1日を。心地いいベッドに入り、明日を楽しみにしながら。