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ペ・ジアン、ペ・ドンミ(映画専門誌『シネ21』記者)、カン・イルグォン(音楽評論家)
デザインMHTL
写真ootb STUDIO YouTube

「転科者」(ootb STUDIO)
ペ・ジアン:世界中のすべての学科をレビューする「転科者(毎日専攻を変える男)」シーズン6がEXOのKAIとともに戻ってきた。大学生活に慣れていた初代の「転科者」イ・チャンソプ(LEE CHANG SUB)とは異なり、軍隊除隊の翌日から撮影を始めたKAIは、まだキャンパス生活にも、この社会にも慣れていない。「新入生オリエンテーション」で、「代出(代理出席)」、「中図(中央図書館)」、「トンバン(サークル(トンアリ)活動の部屋(バン))」など、大学生活の必須用語と学校コミュニティのアプリまで勉強を終えたKAIは、大胆にも一番行ってみたい学科を科学関連学科と叫び、結局KAIST(韓国科学技術院)の化学科に最初の「転科」をすることになる。しかし、やる気満々の様子とは異なり、大学の授業は好きでよく聴いている科学系YouTubeとは違うことに気づく。

「転科者」は、番組のために易しく要約された「放送用」の授業を学校に要請しない。学生たちの登校時間に合わせて実際の授業を受け、本来の進度に合わせて授業を行い、おそらく大学訪問時には知らなかった本当の学科で学ぶ内容を伝える。そのため「転カ者(転科者+KAI)」は、教授が連発する難しい化学物質の名称の中で、こめかみをマッサージしながらなんとか耐える。簡単だと言われていたコーディング実習は、今ここが化学科なのかコンピュータ工学科なのかわからなくなるほどだ。それでも、各授業で教授に質問をし、学科を事前に教えてくれたら予習してくるというKAIの熱意は、大学に入学したばかりで張り切っている新入生と似ている。登校時間なのに前日の飲み会の影響でまだ酔っている新入生、クライミングサークルなのにクライミングをしたことのないメンバー、学食の代わりにトッポッキを頼んで食べる学生たちのために、KAIの大学サークルや学食に対する憧れは打ち砕かれてしまったが、だからこそ「転科者」はより現実的な大学生活の楽しさを伝える。デビュー13年目のフレッシュな、ドタバタ大学探訪記だ。

『Four Daughters フォー・ドーターズ』
ペ・ドンミ(『シネ21』記者):タフなチュニジア人女性オルファには娘ばかり4人いる。役立たずの夫やボーイフレンドと別れ、一人で4人の娘を育てた。子どもたちが悪い道に進まないようにしなければならないという強迫観念を持つオルファは、暴力も辞さない抑圧的な母親だった。しかし娘たちはいつまでも子どものままではいられないもの。時間は刻々と流れ、子どもたちは成長して、それぞれの人生の形を作っていく。母親の監視を逃れボーイフレンドと付き合い、外見を変えて、オルファにヒジャブを被るよう求める。母と娘の力の均衡が完全に変わったのだ。そしてある日、長女のゴフランと次女のラフマは家族から離れISに合流する。もはやオルファがどんなに懇願しても、娘たちは戻ってこない。

第76回カンヌ国際映画祭ドキュメンタリー賞受賞作『Four Daughters フォー・ドーターズ』は、ある家庭を通して「アラブの春」後のチュニジアを取り巻く混乱を捉えている。カウテール・ベン・ハニア監督は、消えた二人の娘に代わって俳優を投入して、オルファの家族と一緒に一連のできごとを再現するようにし、感情のわだかまりが自ずと表れるようにする。カメラは再現が成功する様子を収めるよりも、オルファと残された二人の娘が説明する文脈と、彼女たちの感情が沸き立つ瞬間により集中する。ひと言で言うと、『Four Daughters フォー・ドーターズ』は二度鑑賞するのが難しいほど、感情の波が大きいドキュメンタリーだ。一家庭のプライベートな記録を超えた傑作だ。

星になったR&B/ソウルスターたちを追悼して
カン・イルグォン(音楽評論家):世界中のR&B/ソウルファンにとって、2025年は最も残酷な年の一つと記憶されるだろう。新年が始まり、わずか3か月の間に、悲しい死の知らせが続いたからだ。突然の悲報が残した衝撃と悲しみが癒える前に、また別の悲報が飛び込んできた。これほど短い間にこんなに多くのアーティストが私たちのもとを去ったことがあっただろうか。2月23日には、グループ、アイズレー・ブラザーズ(Isley Brothers)のメンバー、クリス・ジャスパー(Chris Jasper)が亡くなった。享年73歳、癌と診断されて2か月後だった。彼の卓越した演奏と作曲の腕は、偉大なソウル/ファンクバンド、アイズレー・ブラザーズの初期のダンス曲やR&Bバラードが誕生するのに大いに影響を与えた。その翌日の2月24日には、「Killing Me Softly」の主人公ロバータ・フラック(Roberta Flack)が亡くなった。享年88歳だった。フラックは2022年にALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受けて以来闘病生活を続けてきた。ソウル、ジャズ、ゴスペル、フォーク、そして愛のメッセージが融合した彼女の音楽世界は、後輩アーティストたちにとっても多くの手本となった。3月1日には、ネオソウルの全盛期を飾ったシンガーソングライター、アンジー・ストーン(Angie Stone)が亡くなった。享年63歳、公演を終えてアトランタに戻る途中、交通事故に遭った。ラップグループ、シークエンス(Sequence)とネオソウルグループ、ヴァーティカル・ホールド(Vertical Hold)を経て、ソロ活動に至るまで、彼女は伝統的なソウルと現代R&Bサウンドの間で架け橋の役割を果たしてきた代表的なアーティストだった。3月5日には、ジャズとR&Bを行き来した巨匠ロイ・エアーズ(Roy Ayers)が長い闘病生活の末に亡くなった。享年84歳だった。彼はヴィブラフォン奏者、作曲家、プロデューサーとしてしっかりとした足跡を残した。特にヒップホップ音楽にも大いに影響を与え、1976年の名曲「Everybody Loves The Sunshine」は最も多くサンプリングされたソウル/ジャズナンバーの一つだ。3月6日には、グループ、トニー・トニー・トニー(Tony! Toni! Tone!)の創立メンバーでありギタリストのドゥエイン・ウィギンズ(D’Wayne Wiggins)が亡くなった。享年64歳だった。彼は医学的な合併症を患っていた。ウィギンズは、リズム・アンド・ブルースとファンクをベースに現代的なグルーヴを加えたトニー・トニー・トニーの伝統的であると同時に進歩的な音楽世界が構築されるのに重要な役割を果たした。その他にも、オハイオ・プレイヤーズ(The Ohio Players)のクラレンス・ウィリス(Clarence “Chet” Willis)、ザ・ギャップ・バンド(The Gap Band)のフレッド・ジェンキンス(Fred Jenkins)、ジェリー・バトラー(Jerry “The Iceman”Butler)、サム・アンド・デイヴ(Sam & Dave)のサム・ムーア(Sam Moore)、ランディー・ブラウン(Randy Brown)など、本当に信じられないくらいたくさんのレジェンドが私たちのもとを去った。どうか彼らが空の上で苦しむことなく安らかに眠れることを願って。

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