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イェ・シヨン、ペ・ドンミ(『シネ21』記者)、キム・ドホン(ポピュラー音楽評論家)
デザインMHTL
写真MUPLY YouTube

『The Silence Of Idol』(MUPLY)
イェ・シヨン:中・高生にコミュニティ意識と規律を教える韓国の文化「修練会」(オリエンテーション合宿のようなもの)から発想を得たウェブバラエティ『The Silence Of Idol』。しかしタイトルとは異なり、このコンテンツは実際には沈黙(Silence)というキーワードから遠ざかって久しい。厳格な教官の目をかわして、特技披露の練習に成功しなければならないアイドルたちは、悲鳴を上げるのはもちろん、逆に教官を驚かせたり交渉を提案したりしながら、むしろ教官が笑いを堪えなければならないという皮肉な状況を生み出す。KATSEYEが出演した『The Silence Of Idol』でも、教官はお約束通りの赤いキャップとポロシャツ、硬い命令調の台詞で、韓国人に馴染みのある教官のキャラクターを演じる。しかし、韓国人メンバーのYoonchaeを除いて、韓国の修練会に対する理解や経験のない多国籍メンバーたちは、彼にまったく威圧感を感じず、むしろ彼に「どなたですか」と聞き返すという状況が繰り広げられる。

KATSEYEのメンバーたちは、生徒の安全と健康を考慮して与えられた時間に就寝できるよう監視する修練会の文化に疑問を抱くが、すぐ『The Silence Of Idol』の中の世界観に没入し、教官とユーモラスな神経戦を繰り広げる。Meganは新しい教官のふりを巧みに演じ、教官がYoonchaeに罰則を与えようとすると、「ダメです、私たちの末っ子メンバーです!」と阻止するSophiaとLaraの姿は、彼女たちの堅固なチームワークを示している(もちろん二人は、Yoonchaeの罰則がかわいいナイトキャップの着用だということが明かされると、すぐに安堵する)。教官の妨害が続くと、KATSEYEは「私たちと一緒に踊りたいみたいね!」という独自の結論に達し、結局教官は、韓国語で「1、2、3!」とカウントをとりながら期待の目で見守るメンバーたちに応えるため、彼女たちの曲「Gnarly」の一節を歌って、ようやく解放された。『The Debut: Dream Academy』で韓国式の制服を着て遊園地を回り、食べ物を共有して互いの文化を理解していたKATSEYEのメンバーたちは、いつの間にか『The Silence Of Idol』で文化的な違いをもとにした新たなバラエティ的なシーンを作り出すのはもちろん、彼女たちの性格的な魅力まで見せる。そして彼女たちが出演した『The Silence Of Idol』の回は4日間で再生回数200万回を突破した。皆で頭を突き合わせ「教官捕獲作戦」に成功したKATSEYEのメンバーたちが叫んだひと言は、まるで韓国バラエティコンテンツの生態系に上手く足を踏み入れた彼女たちの抱負のようも聞こえる。「Who we are, KATSEYE!」

『罪人たち』
ペ・ドンミ(『シネ21』記者):奴隷制度は廃止されたが、「ジム・クロウ法」という人種差別的な法案が存在する1932年のミシシッピー州デルタ。この地域は黒と白に分けられている。通りの片側にはアフリカンアメリカンが訪れる店が、もう片側には白人たちが訪れる酒場やカフェが存在する。シカゴでアル・カポネのギャングと活躍し、広い世界を経験したスモークとスタック(マイケル・B・ジョーダン二役)の双子の兄弟は、故郷デルタに戻り、自分たちと同じブラックコミュニティのための酒場を開こうとする。日中、綿花農場やヒマワリ農場で過酷に働き、ごくわずかなお金や「農場通貨」と呼ばれる偽のお金だけを手にするアフリカンアメリカンたちが楽に休める空間を兄弟は夢見る。デルタではなかなか味わえないアイルランドのビールやイタリアのワインを客に振る舞う双子は、天性の音楽性を持つ従兄弟のサミー(マイルズ・ケイトン)をステージに立たせ、人々のために公演をさせる。

不思議なことに、従兄弟のサミーの深みのある声は、奴隷だった彼らの祖先とその子孫であるラッパーたちの魂を酒場に呼び込む。人種差別が蔓延するミシシッピーを現実的な視線で見ていたライアン・クーグラー監督は、アフリカンアメリカンの過去と未来が絡み合う幻想的な瞬間を作り出す。しかし、人々の苦しい心を癒やす力を持つサミーのブルースは、闇の存在まで引き寄せる。吸血鬼となったKKK団の農場主たちは、サミーの音楽を聴いてジュークバーに押し寄せ始める。彼らを倒すためには、太陽が上った明るい昼でならなければならない。主人公スモークとスタック兄弟、サミーは無事に一夜を越し、明日を迎えることができるのだろうか。

『罪人たち』は、映画『ゲット・アウト』、『アス』などに続く傑出したブラック・ホラーで、アフリカンアメリカンが体で感じる社会文化的な文脈が混ざった恐怖をシネマティックに演出する。KKK団の吸血鬼たちは、双子の兄弟に入場させるよう執拗に要求して酒場の周辺をうろつき、主人公のキャラクターたちと観客を不快にさせる。『罪人たち』の恐怖は、理由のない執拗な視線を受けた時に感じる不快感と、いつ進入されるかもしれないという不安感から来る。『ブラックパンサー』、『フルートベール駅で』などの演出を成功させたライアン・クーグラー監督は、アフリカンアメリカンの当事者としての情緒を溶かし込み、『罪人たち』のシナリオを書いた。最近多くの映画の原作がコミックだったり実話をもとにしたものであるのとは異なり、純粋に創作されたオリジナルシナリオだ。それをもとに完成された映画は、今年4月に北米で公開され、2億ドルの売上を上げ大ヒットした。それはこの8年間、オリジナルシナリオで作られた映画のうち最高記録であり、ディズニーアニメ映画『リメンバー・ミー』以来久しぶりのことだ。全世界の映画産業内の不確実性が増し、誰も興行成績をポジティブに予想できない時代に、『罪人たち』はそうして自分だけの道を切り開いた。映画の時代が衰退に向かっているという恐怖に立ち向かい、朝が来るのを待ちながら。

ターンスタイル『NEVER ENOUGH』ボルティモア・ワイマン・パーク・デル公演
キム・ドホン(ポピュラー音楽評論家):「ターンスタイルする」。2024年仁川ペンタポート・ロック・フェスティバルの初日の最後の公演を目撃した音楽マニアは、この言葉の意味を知っている。過激なモッシュで仲間意識を固めた会場のファンたちは、本能的にハードコアの公演のハイライトを飾りにステージに登っていった。音楽へのあふれる愛の前に、ステージと観客の境界は崩れ去った。それまで数え切れないほど見上げるだけだったメインステージに上がった私たちは、握手し、抱き合い、叫んだ。どんな撮影や取材よりも強烈に頭の中に残っている記憶だ。

ハードコアパンクのコミュニティ精神を最も忠実に、また現代的に継承し、大衆的に伝えているボルティモア出身の5人組バンド、ターンスタイルがもう一つの感動的な瞬間を予告している。6月6日に発表予定の4枚目のフルアルバム『NEVER ENOUGH』だ。先行公開された4曲はどれも秀逸だが、ミュージックビデオまで美しい。メンバーのブレンダン・イェーツとパット・マククローリーがメガホンを取ったアルバムは、同名の映画になり、トライベッカ・フィルムフェスティバルで初公開される予定だ。

共通の価値観は「ともに」だ。それぞれ異なる大自然の中で楽器を演奏する「NEVER ENOUGH」、それぞれ違う価値観と背景を持つ人々が掛け声に合わせハードコアの公演に参加する「SEEIN’ STARS / BIRDS」、ボルティモア市内を車で走行する「LOOK OUT FOR ME」の映像は、どれも人々が集まってくる。「この鳥たちは一人では飛べない(These birds not meant to fly alone)」という力強い叫びを聞くと、もう涙が出る。

1990年代のVHS画質で撮影されアップされたワイマン・パーク・デル(Wyman Park Dell)でのライブは、音楽の中で誰もが自由で平等であるべきだという価値の保存だ。バンドはこの公演を通して3万5,000ドル以上の基金を作り、故郷ボルティモアのホームレスのために働く非営利団体に寄付した。もっとたくさん「ターンスタイル」しよう。

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