息吹く作品の生命力が肌で感じられる芸術家は、一夜にして不意に現れるわけではない。だからこそ、作家と作品に関する深い理解において、その痕跡を振り返ってみることは、常に重要な手がかりとなってきた。今年3月2日よりソウル市立美術館にて開かれている「LEE BUL:Beginning」は、韓国の現代美術を代表する作家イ・ブルのの初期の作品活動に着目した展示として、10年余りの間発表されてきた「ソフト・スカルプチュア」と「パフォーマンス記録」が披露された。

前衛的な韓国の現代美術を代表するイ・ブルの作業は、時代の変化に伴い、社会を洞察する作家の視点を示してきたが、その根底には作家の生きてきた時代的かつジェンダー的な経験や研究が溶け込み、拡張されてきたものと評価される。1987年に弘益大学校彫刻科を卒業した後、本格的な作業活動を始めた若い時代のイ・ブルは、従来の保守的な雰囲気の美術界に対抗し、型破りなパフォーマンスと伝統とかけ離れた材料を用いることで、当時の硬い美術界から脱しようとしていた。ソウル市立美術館の本館に入るや否や遭遇する巨大な作品《ヒドラ》は、まさにそのような時期の延長線上で誕生した作品として、観客が直接参加できる作業だ。画像がプリントされた風船のモニュメントは、空気ポンプがつながっており、観客が足で踏んで立てる逆説的な参加過程を経る。その結果としてすっくと立った作品から見えるのは、複合的なアジア女性に扮した作家の姿で、オリエンタリズムの歪な見方と女性に対する社会通念をパロディし、皮肉りながら作業の世界に内在する視線の雰囲気を類推してみることができる。続く展示室では、20代のイ・ブルが制作した作品を通じ、作業の世界がどのように始まったかを知る機会を提供する。展示会場の中央に位置する奇怪な形状の「ソフト・スカルプチュア」は、確かに人体を連想させるが、分節され、奇形的な姿の組み合わせから、何とも言えない恐怖とグロテスクな雰囲気を演出する。普遍的な美的感受性とは隔たりのある内臓器官や触手を連想させる作品は、その有機的な生命性から、世界を知覚する主体的な体としての意味を含み、次の展示室の破格を予告する。

呟くように絶え間なく吹いてくる風、プロジェクターから再生される光だけを頼りに見分けのつく暗い展示室、壁一面の身体と仕草のパフォーマンスで描写された2展示室での経験は、見る側にとって極めて異質な環境だ。作家が実演した多数のパフォーマンスのうち、12の記録映像を集約させたこの空間で、我々は過去と現在が出会う瞬間を目の当たりにし、皮膚の欠片がうごめくような強烈な感覚を体験することになるだろう。展示会場という巨大な映像記録装置の中で、映像の対象として記録された作家の行為を見る視神経の感覚は、その身体性が飛び交う露骨な光景と時代を見つめるメタファーから始まった作業を通じて、我々が今立っている現在に改めて気付かされる。自分の身体をスクリーンに、ジェンダー・イシュー、東洋と西洋、大衆とエリートなどの社会像について、絶えず発言してきた作家の様々な活動は、自然とアブジェクト(abject)として活用される美術における体(flesh)を連想させ、衝突する意味を同時に表す。
それだけでなく、展示室でもその一部を確認できる、1997年にニューヨーク近代美術館(MoMA)に出品した《荘厳な光彩》は、生魚を華やかに飾って設置した作品で、時間が経つにつれて腐敗し変化していくところまで含めた作業だったため、悪臭を理由に美術館から撤去され、訴訟を経験したこともある。それまでの美術館の権威に真っ向からぶつかった作品であり、美術館を相手取って勝訴したことで、イ・ブルは世界的に注目される作家として知られるようになる。華やかに着飾った生魚は、身体に関する隠喩であり、それが腐敗し、目を背けられ、退出に繋がる結末から、社会に広がっている視線と慣習を生々しく感じることができるだろう。

展示で紹介された作家イ・ブルの初期の作業は、30年が経ったにもかかわらず、現在の文脈で理解できることから、センセーションに目を向けた2000年代前半の韓国の美術界では、「現代美術の女戦士」と称した。作業を進める間ずっと二分法的な視線と衝突する慣習について語ってきた作家に対し、最後まで「女」を付けたということが時代のアイロニーだが、現代のイ・ブルはその段階を超え、人類と世界を語る作家として残っているのは確かだ。過去の話が現在まで有効な疑念と思考に繋がっている作家であるだけに、今の話が現在の時代を超え、未来のどこまで見越すようになるかは、将来我々が直接身をもって経験してみなければならない舞台として残るだろう。
  • ©️ Jangro Lee
トリビア

Abject

アブジェクト(abject)は、「卑しい」と翻訳される概念として、フランスの思想家ジュリア・クリステヴァにより理論化された。著書の『恐怖の権力』によると、死体、変形した身体箇所、排泄されたものなど、身体の安定性に衝突するものに対する心理的拒否と嫌悪感を意味する。これにより、普遍的な美感に対し抵抗する様相を呈するアブジェクト美術(Abject art)は、社会的タブーの壁を取り崩し、混成の文化を生み出す意味をはらんでいる。
文. イ・ジャンロ(美術評論家)
デザイン. チョン・ユリム