2002年のサッカーワールドカップ以降、料理留学に行く学生が大きく増えた。この一団には不思議なことに、かなりの社会経験の持ち主たちも含まれていた。会社は社員の未来を保障してくれないという認識が広がり、組織より個人の人生に充実しようとする傾向の表れだった。彼らの年齢は大概30代半ばから50代にかけて広がっており、男女に差はなかった。料理留学に行く人たちが主に目指す国は、ヨーロッパ(フランス、イタリア、イギリス)やアメリカ、同じ料理文化を持つオーストラリアなどだった。ヨーロッパの食は、長く韓国を支配してきた保守的な生き方を変えたい人たちにとって、一つの解放感を与えた。例えば、ヨーロッパの国々が享受する長期休暇、自由な営業スタイルといったものを友好的に受け入れた。韓国の食堂のほとんどを占める韓国料理店やアジア料理(中華料理と和食)店は、週に6日、もしくは7日オープンしなければならないということがルールであり、家族のために献身的に働くアジア的な文化に属していた。このようなモデルは、新しい料理人志望世代にとって、あまり満足できるようなものではなかった。韓国で夏や冬に1か月間店を閉めて休暇に入る食堂は、一種の幻のようなものだった。彼らは帰国した後、ヨーロッパ式の文化やアメリカ(主にリベラルなニューヨークやロサンゼルス、サンフランシスコなどで、あいにくこのような都市は食文化が発達しており、韓国からの料理留学生の羨望の的でもある)の食文化を勉強し、韓国に移植する先駆者となった。

 

高校を卒業したばかりか、または前出の「人生リセット主義者」はこぞって2002年以降、厳密に言うと2010年を前後に韓国で活躍し始めた。彼らによって韓国の料理市場、特に高級志向の江南(清潭洞)の文化が大きく変化したことも動かし難い事実だ。驚くべきことは、欧米でブームを巻き起こしたローカルフードやスローフードなどを全面に出したという点だ。韓国に洋食が移植された19世紀末の高宗皇帝時代以来、料理の名前に原産地を出す初の世代になったわけだ。例えば、済州島産ミナミアカザエビ、舒川郡産エイ、瑞山市のナズナ、束草市のタコ、鬱陵島の薬草といった名前がメニューに登場した! 料理の名前はだんだん長くなり(欧米のミシュラン三つ星レストランがそうであるように)2行を超える場合もざらだった。このような流れは、あることをきっかけにさらに急激な方向転換をすることになる。私の記憶に衝撃的だったのは、アメリカのCIA(『ジェイソン・ボーン』を思い浮かべないでほしい)を卒業し、江南の要衝に店を構えたとある若手シェフが「モダン・コリアン・キュイジーヌ」を掲げたという点だ。彼が最初からこれを打ち出したかは、定かではない。確かなのは、このような流れが高級料理のトレンドになり始め、洋食を専攻した多くの料理人がそこに仲間入りしたということだ。さらに、彼は「シラヤマギクのナムルのパン」を出し、海藻の料理も作った。周知のように、ナムルは韓国料理の代表的な魂だが、外国人にはさほどアピールできなかった料理だ(テーブルバーベキューことカルビに勝てる韓国料理アイテムはなかった。外国人が最も手軽にトライできる味であったため)。しかも海藻だなんて! 韓国は海藻を少なくとも7、8種類は食べており、誰もがその名前を区別することができるが、欧米の人々にはただの「海の草」の他に区別されることがあっただろうか。つまり、彼が全面に出したモダン・コリアンは、まさにモダンを通り越して爆弾のようなものだった。これはおそらく、彼らがアメリカにおける料理の心臓部・ニューヨークで勉強したことと関連があると考えられる。ニューヨークは、どんな国の料理でも取り入れられ、消費され、正当な評価が受けられる都市だ。このような都市の空気を吸い込んだ若手料理人たちは、現地で韓国料理の真の王様であり、コアと呼ばれるキムチを使った料理を販売し、それを応用したカクテル(!)を販売する現場を目撃しているだけに、韓国でモダン・コリアン・キュイジーヌを出すことは当たり前なことのようにも思えた。実際、一軍のシェフはニューヨークでキムチ料理を韓国人向けではなく、現地の人向けに開発した。ミシュラン二つ星を獲得した「JUNGSIK」では、メイン料理にキムチの汁をソースとして提供した。キムチは欧米人に長い間アプローチしてきており、特に韓国政府と文化団体によって積極的にアピールしようとする取り組みがあった。しかし、好奇心それ以上の反応を引き出せずにいた。

 

モダン・コリアン・キュイジーヌは、ミシュランの韓国上陸を機にさらに加速し、一つの傾向を超えて標準化された方式で定着しつつある。洋食(フレンチであれ、イタリアンであれ)の調理方法と厨房の構成を標準としながら、韓国料理の材料と調理方法にひねりを加え(これをフュージョン料理と言ってもいい)、提供する。すなわち、欧米の標準的な高級レストランのようだが、料理の材料や風味に変化をもたらす形だ。さらに、ミシュランがソウルの星の選定において、このような食堂を非常に多く含めている現象も影響を与えた。

またもう一つは、伝統的な高級韓国料理(これが何を指すか正確に区別することは難しい。昔の身分の高い家柄の料理なのか、それとも宮廷料理の範疇なのか)だと捉えられる作り方をするが、料理や接客の方法をミニマルに調整する欧米式のファインダイニングの形を取る食堂も、美食家や高級レストラン愛好家から人気を博している。

 

韓国料理は長い間、複雑な変化を内外部から起こしていた。しかし、最強の強度の衝撃は、ここ10年余りの間に起きているということは確かだ。おそらくメディアの革命、アンファン・テリブルのようなシェフの登場、所得の向上といったものが、その土台になったと見られる。韓国料理が今後さらにどう変わっていくか、誰も分からない。


  • ©️ Chanil Park
文. パク・チャンイル(フード・コラムニスト)
デザイン. チョン・ユリム
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