ここ数年のエイサップ・ロッキー(A$AP Rocky)には、「波乱万丈」という表現がよく似合う。新曲のニュースよりも先に裁判の日程が伝えられ、ツアーポスターよりも早く裁判所に出廷する写真が拡散された。スウェーデンでの喧嘩と拘束、銃器関連の暴行容疑をめぐる法廷闘争(幸いにもいずれも無罪判決となった)、ファッション界とのコラボレーション、そしてリアーナ(Rihanna)との関係と「父」という新たな役割。ひとりのラップスターのキャリアと呼ぶには、あまりに複雑で騒がしい時間だった。
人々は長らく、ロッキーが今どんな音楽を作っているのかよりも、彼が今どこに立っているのかを知りたがった。その空白と雑音の中から、ついにその姿を現したのが『Don’t Be Dumb』である。前作『Testing』から実に8年ぶりとなるアルバムだ。タイトルからして妙にストレートだ。複雑な状況説明も大げさな宣言もない。ただ短い一文がそこにあるだけだ。「愚かに振る舞うな」。それは、これまでの混乱と過剰な視線を経験した自分自身への乾いた覚書のように響く。

ロッキーは、デビュー当初から伝統的な「告白型」ラッパーとはかけ離れていた。自らの傷を切々と語るよりも、ムードとイメージの設計に長けたアーティストだった。例えば、ニューヨーク・ハーレムのストリートカルチャーの上にヒューストン式のゆったりとしたサウンドを重ね、ハイファッションとストリートファッションを混ぜ合わせて一つの美学を生み出した。彼の音楽は、常に抽象的な情景に近い。その音楽的才能と個性によって、ロッキーはヒップホップシーンの中で独自のポジションを確立したのだ。
自らの出自を証明すると同時に、自分だけのスタイルを築くラッパー。「どれだけリアルか」を声高に叫ぶよりも、クールな距離感を保つアーティスト。それを表層的だと評す者もいたが、別の側面から見れば、同時代のカルチャーの作用原理を最も正確に体現したアティチュードでもあった。今日のラップスターは、物語性と同じほどイメージによって消費される存在だからだ。ロッキーはそのことを誰よりも早く理解した人物のように見えた。
また彼は、曲作りにおいて地域色やトレンドに縛られない。クールであれば何でも取り入れ、アルバムの要素として活用する。まるで服を選ぶかのように。一見似合わなさそうな服を大胆に重ね着し、それを自分の「スタイル」に変えてしまう。そうやってサウンドを組み合わせ、質感を整え、全体のムードをデザインしていくロッキーは、ラップ・スタイリストであり、優れた建築家だ。
『Don’t Be Dumb』でも、ロッキーは流行のサウンドをむやみにコピーすることはない。チャートに並ぶ攻撃的な808ドラムや平凡なシンギングラップ、あるいは過剰なフックの代わりに、サイケデリックなムードと大胆なジャンル横断の実験に集中した。音は鋭く跳ねるというよりゆっくりと広がり、派手なイシューの数々が染みついた直近の経歴とは対照的に、いくつかの曲を除けば音楽そのものはむしろ乾いた落ち着きを放っている。プロダクションと歌詞の双方がロッキーならではの「アティチュード中心の美学」を持ちながらも、そのアプローチは曲ごとに異なっている。攻撃、冷笑、実験、告白、遊戯が、それぞれ異なる温度で配置されているのだ。

俳優ウィノナ・ライダー(Winona Ryder)と映画音楽家ダニー・エルフマン(Danny Elfman)が出演したミュージックビデオが話題となった「PUNK ROCKY」は、このアルバムで最も異質な楽曲だ。ロッキーはこの曲で、自らをヒップホップのルールの外へと押し出す。ビートの代わりにギターリフが目立ち、ドラムもロックサウンドに近い質感に仕上げられている。ラップが出てくるとはいえ、ボーカル、演奏、サウンド全般がサイケデリックロックそのものだ。ロッキーは以前よりロックカルチャーへの愛を公言してきた。それゆえこの曲は、彼の嗜好がそのまま現れた結果のように思える。
そうかと思えば、ドーチー(Doechii)とコラボレーションした「ROBBERY」では、ジャズとラップが官能的に交わっている。ヒップホップにおいて、ジャズラップは馴染み深いサブジャンルだ。しかしこの曲は、既存の一般的なジャズラップの文法とは異なる道を選んだ。ジャズをサンプリングしたり、演奏してヒップホップのビートと結合させたりするのではなく、ピアノコード、ベースライン、ドラムといったジャズそのものにラップで飛び込んでいく。音の流れが自然と上下し、リズムも柔軟に変化する中で、ロッキーはゆったりとラップを挟み、ドーチがその隙間を鋭く刺す。愛と欲望、互いを奪い合い、振り回す関係をメタファーで紐解いたこの曲における「強盗」は、まさに感情の「略奪」に近い。
アルバムの呼吸が緩み、感情の余白を感じさせる2曲、「WHISKEY (RELEASE ME)」と「PLAYA」も外せない。幻想的なムードとクラウドラップ(Cloud Rap)に代表されるロッキーの初期スタイルが感じられ、思わず嬉しくなる楽曲だ。「WHISKEY (RELEASE ME)」では、じんわりと広がるシンセパッドとゆったりしたリズムの中で抗いがたいアルコールへの愛を歌い、ジャズギタリストのリー・リトナー(Lee Ritenour)の「Is It You?」(1981)をサンプリングした「PLAYA」では、1980年代ファンクとトラップを混ぜたビートの上で、華やかな生活と虚勢を歌う。
一方、「STOLE YA FLOW」はアルバムの中で最も問題の一曲だ。2024年のシングル「HIGHJACK (right back)」同様、ドレイク(Drake)を狙ったのではないかという推測を呼ぶテーマを引き継いでいる。もちろんロッキーは、今回もその歌詞がドレイクを標的にしたものだと明言してはいないが、すでに多くのメディアとファンは、これをディス曲だと確信しているようだ。サウンド自体も非常に威圧的だ。まず、低く敷かれた808ベースと荒々しく歪んだシンセが耳に圧をかけ、ドラムは終始まっすぐ突き進む。そしてロッキーは、「友」から「敵」へと変わった相手を責める。「お前は俺のフロウを盗んだ」。

このように、ロッキーの様々な側面と自由奔放な実験が詰まったアルバムを辿っていくと、このプロジェクトをヒップホップ・アルバムの文法では説明しきれないという感覚は、確信に変わる。『Don’t Be Dumb』に満ちたイメージとサウンドは、一編の奇怪なファンタジー映画を想起させる。そんなこれまでにない感覚の中心には、思いがけない2つの名前が並んでいる。ティム・バートン(Tim Burton)とダニー・エルフマンだ。
現実と悪夢の狭間に立つような映像を作り続けてきた映画監督、そして、その世界に奇妙な息吹を吹き込んだ作曲家。ロッキーは、かねてより敬愛してきたティム・バートンの矛盾し、歪んだ童話の世界でアルバムのジャケットを彩り、彼の映画の伴走者であり音楽的なペルソナでもあるダニー・エルフマンを作曲に招き、自らの映画的想像力を結合させて、『Don’t Be Dumb』の異質で不安定な世界を創り出した。その世界の中で、ヒップホップはもはやジャンルではなくサウンドトラックになる。
今、ヒップホップが消費されるスピードはますます速くなっている。ストリーミング環境は短くて即効性の刺激を求め、多くの曲がアルゴリズムを念頭に置いて設計される。似たようなテンポとフック、似たような感情の動きが繰り返される中、いつの間にかメインストリームのヒップホップは公式のように生産されている。失敗は減るものの、それと同時に個性も薄れていく。
ロッキーは、こういった流れに正面から抗うことなく、横に身をかわす。耳を一瞬で捉える爆発ではなくムードを保ち、説明ではなく余白を残す。共感よりも雰囲気が、ナラティブよりもアティチュードが目立つ。それゆえ、誰かにとってはまとまりに欠ける作品として映るかもしれない。しかし、その特徴こそが『Don’t Be Dumb』を簡単に聴き流せない理由だ。大げさなカムバック宣言の代わりに、短く記した彼のアティチュード。「愚かに振る舞うな」というひと言が、今のエイサップ・ロッキーについての最も正確な説明なのだから。
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