ソウルにジェ洞という地域がある。鍾路区の安国駅付近、憲法裁判所が立つ場所だ。ジェ洞という名前は、火で燃えて残った物質を指す韓国の固有語「ジェ(灰)」に由来する。かつてこの一帯がどれほど血なまぐさい臭いに満ちていたことか、住民たちが灰を持って来て大量に撒いたことからジェッコル(灰の町)という名前がついた。1453年首陽大君(スヤンデグン)により国王・端宗(タンジョン)を追放するクーデター「癸酉政乱(ケユジョンナン)」が起こり、その過程で多くの臣下が粛正された。それにより景福宮と光化門から1kmほど離れたジェッコルまで血が流れ込んだ。今は誰もが散策することのできるジェ洞には、幼い端宗が身震いしたであろう恐怖が刻まれている。

2026年初の「1000万人動員映画」となったチャン・ハンジュン監督の『王と生きる男』(原題)は、端宗(俳優パク・ジフン)が感じたであろうその恐怖を再現することから物語が始まる。拷問されている臣下たちの悲鳴が聞こえてくる宮殿。体も小さく痩せた幼い王端宗は、門の外から聞こえてくる声に耐えている。やがて朝廷の大臣たちを残酷に拷問していた韓明澮(ハン・ミョンフエ、俳優ユ・ジテ)がずしずしと歩み寄り、カメラは大きな山のような韓明澮の肩越しに、低いところに座る端宗を映し、彼がとても小さな存在であることを強調する。「今度は私の番だから来たのですか。今度は私があの人たちのように悲鳴を上げなければならない番だということですか」。端宗は韓明澮とまともに目も合わせられないまま、かろうじて尋ねる。質問形式の台詞であるが、俳優の震える声や暗い眼差しにより、それが質問ではなく悲劇に見舞われた者の落胆だということを、私たちはすぐに気づかされる。まもなく端宗は魯山君(ノサングン)に降格され、流刑地寧越へと旅立つ。宮廷から追放される彼の目に、さらし首にされた臣下たちの亡骸がまず映る。ジェッコルという名を生み出したその血なまぐさい光景が。
俳優のことをよく「眼差しで語る存在」と言う。それはキャラクターの状況を、言葉で伝える台詞だけでなく眼差しにも感情をたたえていなければならないという意味だろう。広く解釈すれば、俳優は自らの体で物語と感情を表現しなければならないという意味だろう。同様に『王と生きる男』の中の俳優パク・ジフンは、揺らぐ眼差し、肩を落とした姿、力のない足取りなど、主に非言語的表現によって、17歳で廃位された王をスクリーンに刻み込む。悲しみで話す気力さえ尽きてしまったかのように、言葉と涙を飲み込む。俳優パク・ジフンは端宗が広川谷に足を踏み入れてからは、台詞ではなく体で感情と物語を伝えることにさらに没頭する。端宗は死への極度の衝動に駆られ、食事を抜き、悪夢に苛まれて、高い場所から身を投げて命を絶とうともする。この時俳優パク・ジフンは、体からできるだけ力を抜き、生きているような死んでいるようなどちらともつかないキャラクターを作り上げていく。映画の中のその他の視覚的演出はその無気力さを倍増させるが、特に寧越に到着した当初、心理的に崩れ落ちた状態にある端宗が着ていた真っ白な韓服は、彼を死者のように、一種の幽霊のように見せる。
端宗の無力な姿を見つめる広川谷の住民、そして観客は、一つの疑問を抱いたことだろう。「この少年は果たして王にふさわしい人物だったのだろうか」という疑問を。興味深いことに、その疑問は俳優とキャラクターが密接に結びつく劇映画の特性上、俳優に向けた問いへと広がっていく。「アイドル出身で、ウェブドラマ『恋愛革命』、配信シリーズ『弱いヒーロー』などのドラマで活躍したパク・ジフンという俳優が、劇場映画でもしっかりと中心を担うことができるだろうか」と。それほど「廃位された幼い王は果たして指導者たる人物だったのか」、「パク・ジフンという若い俳優は長編映画の主人公の重みをしっかりと背負えるのだろうか」という二つの問いはコインの表裏のように密着している。それについて即答するなら、「イエス」と言いたい。広川谷の住民たちが虎に驚いて「王だ」と言いながら後ずさりした時、端宗は「こいつめ」という台詞を力強く吐き出して、虎を弓で倒し、住民たちが彼のリーダーシップを実感するシーンが代表的だ。映画の中の世界、すなわちフィクションの面では、弱く幼い存在のように見えていた端宗は、躊躇することなく自分にとって最後の民である広川谷の住民を救い、現実の中の俳優パク・ジフンは、力のない少年の姿から君子の姿へと飛躍し、俳優としての力量を発揮する。この時の演技は、虎のCGの拙い出来さえもカバーする。特にこのシーンは、端宗が空(から)の弓を放ちながら「弱く、至らないために民を守れなかった自分自身のために放った」と言うシーンと相俟って、彼が射た虎は暴力で権力を掌握した首陽大君であるだけでなく、自分自身でもあり得ることを暗に示している。そのためか、端宗は弓で虎を射た翌日から、自身の悲しみから抜け出し、気力を取り戻して食事をとり、広川谷の人々と交流しながら聖君としての姿を見せる。そしてそのシーンを起点に、俳優パク・ジフンに対する観客の評価も大きく変わったことだろう。

子役時代を除いて、成人俳優としては演技活動の初期と言える動画配信サービスkakaoTVのオリジナルドラマ『恋愛革命』(2020)の撮影現場に取材に行ったことがある。当時彼は全身で愛を表現する、愛嬌たっぷりの高校生コン・ジュヨン役を演じ、見る人の心を解きほぐす愛らしい仕草を見せなければならなかった。原作ウェブ漫画の中のコン・ジュヨンのキャラクターがなにしろ愛嬌たっぷりだったので、現実で彼をどう表現するのか気になり、撮影現場を訪れた。先輩記者が彼のインタビューをし、私は他の俳優たちと会話を交わしたが、現場で見た彼が演じる姿は、ウェブ漫画の中のキャラクターと見事に一致していたことを覚えている。アイドルとして磨きをかけた時間のおかげか、彼はカメラがどんなに近くに寄っても緊張したり照れたりすることなく、愛にあふれる自分の感情を表現していた。前髪を長く下ろしていたが、澄んだ目はステージの照明がなくてもキラキラと輝いていた。その後完成した『恋愛革命』を小さなスマホの画面で見た時、彼は賢く演技していると思った。ただ、「ウィンク男子」というニックネームからもわかるように、ジェスチャーにより短時間で視線を引きつける能力を演技で表現していたという印象もあった。
しかし、『弱いヒーロー』シリーズで彼は少し違っていた。以前はどこに立っていても顔に陽光が降りそそいでいるようだったが、彼が演じたヨン・シウンの顔には、濃い影と憂いが漂っていたからだ。シウンは言葉も身振りも最小限に抑えられていた。シウンは校内の暴力的な状況に巻き込まれており、親のような大人世代ともコミュニケーションがとれないキャラクターで、腕にはギプス、顔には傷、そしてその顔には表情というものがなかった。俳優パク・ジフンは『弱いヒーロー』シリーズに至り、キャラクターが置かれた状況をさりげないやり方で表現していた。それは手振り、目つき、そして愛嬌のある口調でコン・ジュヨンのようなキャラクターを表現することとは次元が異なる進展だった。無理に演技したり誇張するように表現せずに、一つの物語のために用意された演出の中に自然に溶け込み、キャラクターの人生を表現することは、さらに難しい領域だからだ。『弱いヒーロー』シリーズで彼は焦らず落ち着いてキャラクターに深く入り込む軸を次第に手にしていった。

劇場に座り、俳優が演技人生において新たな局面を切り拓く瞬間を目の当たりにすることがある。その俳優特有の演技のトーンを予想して劇場に入るが、新たなページが開かれる瞬間を時々経験する。『王と生きる男』における俳優パク・ジフンの演技がそんなケースだった。『弱いヒーロー』シリーズで磨いた軸をもとに、俳優パク・ジフンは端宗というキャラクターの最も低いところと最も傾斜の急な面の両方を際立たせて表現し切った。自然に映画の世界に溶け込みつつも、強い感情を表現しなければならない瞬間にも、感情を溢れさせることなく正確に。『王と生きる男』は3月23日現在、観客動員数1,500万人を突破しつつある。それほどこの映画は、幅広い観客を包み込んだ。多様な経験を持った、さまざまな年齢の観客に届いただけに、この映画に対する評価はいろいろに分かれるだろう。しかし、俳優パク・ジフンに限っては、皆同じ考えを抱いたのではないだろうか。『王と生きる男』で俳優パク・ジフンは、観客の脳裏に鮮明に刻まれたと。今や彼は次の作品が気になる俳優になったと。
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