
『私の心がふわふわ ― ふわ相談所』(SBS、Netflix)
チョン・ダナ:それぞれの物語を抱えて集まった若者たちが恋を見つける場所、ここは『私の心がふわふわ ― ふわ相談所(以下『ふわ相談所』)』だ。「発達障害のある弟は恋愛ができるのだろうか」という問いから番組を企画したと明かしたプロデューサーのコ・ヘリンは、発達障害のあるオ・ジヒョンさん、ユ・ジフンさん、チョン・ジウォンさん(以下「ふわさん」)を中心に、三部構成の物語を描き出す。三者三様の「ふわさん」たちは、同じく発達障害のある相手とデートをする。『ふわ相談所』の若者たちは、初めて1人で会計をし、待ち合わせ場所に到着し、30分以上も見知らぬ相手と会話をする。そして彼らのすべての挑戦には、「相談所長」イ・ヒョリとイ・サンスンが寄り添う。旅行が好きなジウォンさんはイ・サンスンと一緒に初めて旅行計画を自ら立て、ジヒョンさんとジウォンさんはそれぞれイ・ヒョリと一緒に次のデートのための服を買い、単独のヨガレッスンも受ける。単なる観察者を超えて番組に深く関わる2人は、「ふわさん」たちの関係構築と成長の過程に自然と溶け込んでいく。
「僕は思っていることを正直に言えるんです」というジフンさんの言葉のように、『ふわ相談所』の出演者たちは相手に気持ちを伝えるとき、回り道をせず、近道でまっすぐに行く。発達障害のある人同士のデート体験で、ある男性はジヒョンさんに「笑顔がとてもきれいです」と、照れながらもはっきりと想いを告白する。過去の傷から言葉で想いを伝えることが難しかったジヒョンさんは、折り紙の資格を活かし、ハートの形に折った紙をプレゼントする。ジヒョンさんのプレゼントを受け取った相手は、心から感動し感謝を伝える。「私たちはあんなふうに正直に言えないところがある」というイ・ヒョリの言葉のように、『ふわ相談所』の出演者たちが見せる真摯な態度は、関係に必要な率直さの価値を改めて考えさせる。時には、正直さが不器用さになる瞬間もある。それでもジフンさんが「次からはどう言えばよかったんでしょうか」と尋ねたり、ジウォンさんが「なんだか後悔しています。あんなことを言ってしまって」と静かに謝ったりと、出演者たちは関係の中でより良い自分になろうと努力するという成長を経験する。だからこそ「ふわさん」たちにとって『ふわ相談所』は、単に恋を見つける場所にとどまらない。成長の痛みを経て新たな章へと背中を押してくれる出発点になる。そうして「ふわさん」たちは、自分なりの方法で恋を育んでいく。

『劇場の時間たち』
ナム・ソヌ(映画専門誌『シネ21』記者):大都市に愛着を持つためには、アジトが必要だ。ソウルのど真ん中、しかも光化門に位置する映画館シネキューブは、そういう意味で貴重なものだ。ビルの森と観光地が混ざり合う街の中で、自主・アート映画のみを扱う地下の上映館は、こう語りかけてくるかのようだ。「疲れた現代人よ、ここに隠れておいで!」
その隠れ場が今年、開館25周年を迎えた。シネキューブが生き残りを記念して成し遂げたのは、映画制作。この空間を息吹かせるものが何かわかっていると言わんばかりに、自ら制作に乗り出したのだ。今年3月18日に公開されたアンソロジー『劇場の時間たち』が、その成果物だ。イ・ジョンピル、ユン・ガウン、チャン・ゴンジェの各監督がそれぞれ短編を1本ずつ演出し、3作品はいずれもメタ映画の性格を帯びている。イ・ジョンピル監督がシネマティックな友情の変遷を振り返った一方、ユン・ガウン監督は子供役者たちによる撮影現場のリズムを再現した。チャン・ゴンジェ監督は、チョン・ジヘ評論家と一緒に書いた脚本で、スクリーン周囲で可能になるマジックのような瞬間を捉えた。
3本の短編の素晴らしさに引けを取らないのは、それらを包むプロローグとエピローグである。シネキューブの開館日から今まで映写室を守り続けている映写室長のホン・ソンヒが、若い後輩と共に過ごした半日がそこに収められている。毎日映画を上映してきた男は、ついには映画の一部となった。そうして『劇場の時間たち』は、何かを見せるために見えない場所にとどまってきた労働者たちにも挨拶を送る。

吉澤嘉代子 - 『幽霊家族』
ファン・ソノプ(ポピュラー音楽評論家):架空のキャラクターを設定し、そこに自身の経験を1滴落とし込むことで独特の躍動感を与えてきたシンガーソングライター、吉澤嘉代子。そんな彼女が5年ぶりに発表した6作目の作品は、「語り手」としてのアイデンティティをいったん手放し、ありのままの自分を初めて打ち出した作品として注目に値する。10代の頃に取り壊された家の庭にまつわる記憶を込めて書き上げた「あの家はもうない」、同様に幼い頃、弟を励ますために作った「おとうと」で始まる序盤から、アルバムの目指すところがどこなのかをはっきりと示している。そのほかにも、自分のそばにいた架空の友達のことや、ピーマンが食べられなかった頃を振り返って抱く今に対する思い、長年憧れてきた小説家・いしいしんじとのコラボレーションなど、自身が考える「家族」という意味を紐解くために、「血縁」や「絆」に関する個人的な題材を積極的に活用している。
オルゴール作曲家である弟をはじめ、各トラックにはさまざまな編曲家たちがそれぞれの彩りを加えている。弦楽セッションが心地よく響くアップテンポの「たそがれ」、クラシカルなバラード「時の子」、いつにも増して攻撃的なディストーションを展開する「おとうと」、ROTH BART BARONの力添えで宇宙のような広大な空間感を実現した「うさぎのひかり」といった楽曲は、決して音楽の存在がメッセージに従属しないことを示す代表的な成果物だ。
このような色褪せない想像力をもとに、彼女は「家族」に対する自分なりの意味を重ねていく。「記憶はそっとそっと手直しを許して美しくなる」という「あの家はもうない」の歌詞のように、いつの間にか過去と仲直りできた彼女は、家族もまた他人だと定義する。長い時間を共に過ごしたにもかかわらず、最もわかり合えず互いを包容できない、そばにいながらも形を特定できない「幽霊」のような存在だと。いつまでも一緒にいられる人たちではないからこそ大切にしようと、それでももし許せない気持ちがあるのなら、無理に大切にしなくてもいいと、「絆」や「血縁」に対するそれぞれの自由意志を真摯に受け止める。「決められた家族の形など存在しない」というこの淡々とした宣言に、誰の周りにだって存在する「幽霊家族」は、やがて静かに頭をもたげる。
- ENHYPEN JAYのF1愛全開オタクトーク2026.03.20
- 『BOO SEUNGKWANのビビデバビデブー』、会話本来の楽しさを捉える2026.03.13
- 『サラ・キムという女』、欲望で築いた虚像の王国2026.03.06