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『HMM』、HUH YUNJINという物語
今週のYouTube、映画、音楽
Credit
文ソン・フリョン、ナム・ソヌ(映画専門誌『シネ21』記者)、ファン・ソノプ(ポピュラー音楽評論家)
写真STAN_A X

『HMM』
ソン・フリョン:
たった一行のメモから始まる物語がある。LE SSERAFIMのHUH YUNJINがホストを務めるポッドキャスト『HMM』の最初のページもそうだ。「創作や記録を通じて、今の自分をどこかでずっと生かし続けることができるんです」。『HMM』の初回エピソードで、HUH YUNJINはデビュー前に書いた日記やメモを広げて見せながら、これまでの時間を振り返る。彼女は不安や心配、後悔、人間関係についての悩みに至るまで、今のHUH YUNJINを作った様々な経験を包み隠すことなくシェアする。記録し、創作することで、自分が誰なのかを忘れずにいること。それが「自分自身を愛する方法のひとつ」だというHUH YUNJINの物語が、古いノートから始まったのもそのためだろう。

 「YUNJINさんが自分の話をする準備をしっかり整えていて、いいですね」。ゲストとして出演したダンサーのLEEJUNGが言ったように、HUH YUNJINはこれまでの人生で向き合ってきた問いについての自分なりの考えを語り、今も抱えつづけている悩みも率直に打ち明ける。「갓생(意識の高い充実した生活を指す流行語)」という言葉を喜べない理由、人生を少しだけ楽しくしてくれる小さな習慣やルール、「ヴィラン(悪者)」たちから自分を守る方法。自分自身に投げかけていた問いが、今では誰かと分かち合う話のスタート地点になった。HUH YUNJINはポッドキャストの冒頭で、K-POPアイドルを夢見るようになったきっかけについてこう語っている。「様々なアイデンティティを持つ人たちに影響を与えられるということが、私にとってはとても大きい魅力だったんです」。音楽とパフォーマンスを通じて自らの声を届けてきた彼女にとって『HMM』は、最も私的なことを語るための新たな扉のようにも見える。「皆さんも自分の人生を書き留めて、いつか再び取り出したくなるような記録を残していってほしいです」。ひょっとすると、HUH YUNJINの願い通り、どこかにいる誰かの部屋では、すでに新たな物語が始まっているのかもしれない。

 *『Huh’s Memo(HMM)』の最新エピソードは、10月19日(月)午後7時(KST)にSpotifyおよびYouTube、Mnet Plusの『STAN:A』チャンネルで公開される。

『ホーリー・ボーイ』
ナム・ソヌ(映画専門誌『シネ21』記者):
ホラー映画の躍進が目覚ましい一年だ。上半期には『サルモクチ』と『バックルームズ』、下半期には『オブセッション 災愛』と『バイオハザード』、そしてリマスター版として初公開された『ウィッカーマン final cut』などがジャンル映画ファンを熱狂させている。さらに、ジェシカ・チャステインのぞっとするような変貌が予告されている『アザー・マミー』、DCユニバースのボディホラー『クレイフェイス』も、ハロウィンシーズンに合わせて韓国での公開を控えている。

 そんなラインナップにも引けを取らないイタリア発のホラーが10月、韓国の映画館にやってきた。昨年、第82回ヴェネツィア国際映画祭で初上映された『ホーリー・ボーイ』だ。舞台は、悲劇的な列車事故によって家族や隣人を何人も失った人々が暮らす村、レミスだ。トラウマに蝕まれかけた住民たちは、奇妙な方法で生きる力を維持している。それは、「天使」と呼ばれる村の少年マテオを抱きしめることだ。住民たちは、霊的な力を持つマテオとの抱擁によって悲しみが和らぐと感じており、マテオの父親が自らその儀式を取り仕切るほど、レミスの人々は平和を切実に求めている。そんな彼らだけの「楽園」に亀裂が入り始めるのは、新任の体育教師セルジオが赴任してからだ。セルジオが物静かな生徒マテオを、神ではなくひとりの人間として、道具ではなく主体として扱うことで、マテオの自我が目覚め始める。

 パオロ・ストリッポリ監督は、切実な思いから宗教を利用する人間の利己的な心に注目したと語る。信仰の代わりに酒や薬物がその場所に入ることもある。彼が警戒したのは、簡単かつ手軽であるがゆえに中毒性の高い、その場しのぎの解決策だ。「惨めになってもいい。弱くなってもいい。苦しみは悪魔視するほど、ひどくなるのだ」。監督は複数のインタビューでそう語り、映画の中でもその考えを暗に示している。「神は苦しみの中に共にいる」。

 人は、誰しも痛みとともに生きている。その状態をしっかり受け止めることこそが、他人の傷まで包み込むための道なのかもしれない。ホラーというジャンルは、限られた上映時間の中で隣に座った観客と一緒に驚き、安堵する体験をもたらす。ネガティブな感情さえも最後まで味わい尽くすことを可能にする点にその魅力がある。『ホーリー・ボーイ』でその試みに成功したパオロ・ストリッポリ監督は、先日、アメリカのアーティスト・エージェンシーWMEとの契約も発表した。彼が手がけるハリウッドホラーが見られる日は、そう遠くないのかもしれない。

Dabda - 『On(百)』
ファン・ソノプ(ポピュラー音楽評論家):
3分にも満たない曲の長さがデフォルトのようになったこの時代に、ダブダ(Dabda)はまったく逆の方向へ進む。このアルバムの収録曲は、短いものでも4分、長いものでは7分に及ぶ。注目したいのは、その時間をどうやって満たすのかだ。これまでの活動でマスロックバンドとしてのアイデンティティを築いてきた彼らは、曲に応じて異なるストラテジーとともに、ジャンル特有の変幻自在さに多彩な魅力を加えていく。単に音を少しずつ積み重ねていくだけではなく、予告もなく大きな余白を作って流れを断ち切ることもあれば、楽器の編成を一気に変え、風景そのものを変えたりもする。それぞれ異なるルートを辿ってクライマックスに到達するため、退屈する隙を与えない。その過程で、「演奏集団」としての魅力もいっそう濃いものになる。息を合わせる緊張感と、その緊張が解ける瞬間の快感がそのまま詰め込まれたような作品には、個人的にもかなり久しぶりに出会った気がする。

 変則的なリズムや複雑な構造を前面に押し出すマスロックは、ともすればアーティストの自己満足にリスナーが振り回されやすいジャンルでもある。しかし彼らの2作目となるこのフルアルバムは、作品全体の流れに説得力を持たせ、耳馴染みのいいボーカルとメロディーを適切に配置することで、このジャンルへの「入門編」としての役割を十分に果たしている。それは妥協ではなく、緻密なバランス調整によって聴く者の負担を最小限に抑えながら、「音楽」としての魅力をさらに高めている。何より、このアルバムを聴き終えると、自然と「ライブが見たい」と思えてくる。経験と模索を経て辿りついた成長の証と、ロックアルバムに本来求められる美徳。ダブダはこのアルバムを通じて、その「二兎」を同時に手に入れた。厳しい環境の中にあって、このバンドは「最後まで生きてやろうとする姿勢」を、音楽を通してあふれんばかりに体現している。

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