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文. チェ・ジウン(作家)、イム・スヨン(映画専門誌『シネ21』記者)、ナ・ウォニョン(大衆音楽批評家)
デザイン. チョン・ユリム
写真. JTBC

『ソシタムタム』(JTBC)

チェ・ジウン(作家):少女時代が帰ってきた。2017年から個人活動に集中しており、グループ活動のなかった時期を経て5年ぶりだ。久しぶりにまた集まったわけだが、人生の半分近くの時間をともに過ごしてきたため、互いについてとてもよくわかっているメンバーたちの絶妙なコンビネーションは、「バラエティ」のための役割を果たす時よりも、些細なテーマで熱のこもった会話をしたり、互いにふざけ合う時により輝く。女優として活動してきたスヨンが「4Kファンカム」を知らないと言うと、ソロ歌手として経歴を重ね成功しているテヨンが「8Kもある」と教えてあげ、歌手を含めいろいろな方面で活動中のユリがメンバーたちに向かって、「ソロをやったことのない子たちにはわからないでしょ」と、わざと偉そうな表情でジョークを飛ばす瞬間のようにだ。そして江原道トンヘ市に旅行に行った少女時代が立ち寄ったスーパーで、彼女たちに出会った若い女性店員は感激して言う。「小学生の時から『SONE(少女時代のファン』でした)。『ソシタムタム』はそのような人たちのためのギフトボックスだ。

『サマーフィルムにのって』(日本8月6日公開) 

イム・スヨン(映画専門誌『シネ21』記者):ストレートな感情表現を恥じらわない10代、同級生たちが熱狂する恋愛映画に冷めた態度の、反骨気質の少女がいる。その代わりに映画オタク「ハダシ」が好きなのは、自分が生まれるずっと前に公開された時代劇だ。自ら書いた『武士の青春』のシナリオが映画部で採用されなかったハダシは、親友「ビート板」、「ブルーハワイ」と意気投合し映画を自主制作した後、文化祭当日ゲリラ上映する作戦を立てる。基本のプロットや全体的なトーンは、高校の文化祭を前にした軽音楽部の奮闘記『リンダリンダリンダ』、低予算映画現場の悲喜と情熱をウィットを利かせて描いた『カメラを止めるな!』、田舎の少女と異邦人の少年のみずみずしいロマンス『天然コケッコー』などの日本の青春ものを連想させる。そこに映画のメディア性を結びつけるアイデアは、『サマーフィルムにのって』だけの青春を彩る。特に『武士の青春』の主人公になる、未来から来た少年凛太郎は、過去と現在、未来を繋ぐ映画の特性をキャラクター化した人物であり、青春ものとSF、恋愛を独創的に配合したムードを完成させる。今年の初めJFF日本映画祭2022で映画に接した観客の熱烈な支持がSNSを通して話題になり、正式な収入及び劇場公開にまで至った。

「Pseudoscience(feat. Chang Kiha)」- Mudd the student

ナ・ウォンヨン(ポピュラー音楽批評家):ジャンルも結局疑似科学(Pseudoscience)だ。ただ一定の法則と厳密な基準がある状態で信じるだけ。そんな疑似科学の世界で、「学生」を自任するMudd the studentは、あらゆる情報を過剰に満たし、様式の境界を内側からすっかり崩して、音楽とジャンルどちらとも単なるフィクションだという仮説を効果的に主張してきた。昨年の「Field Trip」以降も変わらぬ探求生活で、ギターの音はリフとビート両方の役割を果たし、曲の骨組みになるのかと思ったら、右往左往するようにあちこちに挿入され、音色的な一貫性だけをかろうじて提供している。一方ロック的なリズムで、絶えずスリップする電子的なドラムとコーラスを伴い口ずさんだり、ターンテーブルに混じってぶつぶつつぶやく声は、トラックが一定のパターンとして成立しようとする力をせわしなく妨害する。あえて分類しようと努めるなら、Muddがラッパーでありながらも、ともかくロッカーであるように、ロッカーだが、ともかくラッパーであるChang Kihaの登場は、『Levitation』 (原題『空中浮揚』)の「大体何かがふわっと浮いている感じ」を持ってきて、単純なサウンドのパートも、とぼけた感じで、あるいは落ち着きなく乱す。にもかかわらず、この悩み信じるふりをすることが、「運命は嘘 偶然があるだけ」と無作為の任意性を受け入れるかのようでいて、「僕たちは運命だ 今は信じられる」ではっきりとした確信を帯びるのは、突拍子もなく装飾され衝突する構成要素の上に、Muddのボーカルが、トップラインだけは完全にリードしていき、陰謀論のように膨らむ方程式のしっかりとした定数になっているからだ。それでも依然として「科学」的に体系化するたびに、数多くの変数に巻き込まれ、夢中になって楽しく揺れる分、「Pseudoscience」は「魔法は実際にあるかもしれない」という証明を信じると同時に留保し、無我夢中で研究を進める。