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文. ナ・ウォニョン(大衆音楽批評家)
写真. Apink Youtube

アイドル・ユニットという部分集合のような単位では、グループ自体の音楽的特性を部分集合にまとめることもできる。アイドル・ポップの慣習に倣い、トラックとアルバムの両方に主に盛り込まれる過剰だったり、総合的だったりする特徴は、時々このようなユニットを道具に、歌謡やポップス的にミニマルに整えられたコンセプトを固定させる。そういう必然的な選択の過程から派生的な小宇宙を制作する過程は、そのユニットの属したグループの構成要素が目立つように核心だけを抽出し、またはそもそも全体の方向性を最小限主義的に再編することで、無駄のないさっぱり感を打ち出すことができ、上手に使いこなせば、時にはグループ単位では表せなかった多様なスタイルを明敏に分配することもできる。さて、Apinkの場合はどうだろうか。現役グループの中で経歴がこれほど長いにもかかわらず、これといった非活動期もなく活動を続けてきており、いわゆる「PINK」時代からそれ以降への移行期にも急激にがたつく落差なく連続性を持続し、さらには古典的な引用をもとに完成度にこだわることで鮮やかな清楚コンセプトのお手本になった過去の時期と、自然な「現代化」で(B.E.P.の手がけたタイトル曲がいつも見事に届ける)電子的なみっともなさによる快感を掘り下げた同時期の両方において、着実にヒット曲を出してきたわけだ。いつの時もApinkの安定的な持続力は基本、はっきりとした個性の音色と、その隅々まで対応するメロディラインを一致させることで生まれる歌謡的な通俗性が、表れるスタイルはともあれ、いつも適度に保たれたためだろう。その意味で、遠い過去の「PINK」時代に結成されたBO MIとNAM JOOのユニットBnNがR&B・バラード・ボーカルを基調にアドホックのトラックを出した中、『Two Yoo Project - Sugar Man』でH(ヒョン・スンミン)の「Forget Me Not」を2000年代風の歌謡ラップに難なく上手にリメイクした場面は、ユニットという部分に派生されても依然として残るApinkの真髄が何かをある程度予備したはずだ。

 

そう考えると、2020年代に入り、Apinkのユニットがかなり多種多様に分かれたという点は、彼女たちの新しい時期がはっきりと確立され、さらに多様なアプローチが可能になったということをも示してくれる。『LOOK』で本格的に具体化され、今年の10周年記念アルバム『Horn』にも続いたJOOJIRONG(NAM JOO、EUN JI、CHO RONG)、YOS(BO MI、HA YOUNG、NA EUN)のトラックがそうだ。同時期のスタイルに合わせてファンキーさを一定量備えており、それにもかかわらず意外と物足りないところなくエレクトロニックさもあるダンス・ポップの基本公式を程よく表現した音楽に沿って、各音色はApinkのメンバーだけで作ったミニApinkのようにくくられる。それと同時に、「Nothing」や「Love Is Blind」のパフォーマンス・ビデオで見られるように、そこまで規模が小さくなったおかげでこれらのユニットは、グループが長続きした、トリビュートの対象であり参照点でもある1990年代後半の少人数の女性グループ、代表的には「Fin.K.LやS.E.S.、Papayaといった巨人たち(チョン・グウォン)」にも似ているが、そのような趣は単にコピーされるよりは、現時点に合わせて流麗に復刻され、アルバムに豊かさを足す。このような経路に従い、(偶然で奇しくもBnNもそうだったように)両ユニットの中で音色上の隔たりが結構ある二人で結成されたCHOBOMのシングルアルバム『Copycat』を、ユニットの抽出/再編/分配の機能に対する3つのペアに対応させてみることができるだろう。

Apinkの「連続性」という側面から「Copycat」で早速目立つところは、特出したトーンのシンセ音と悠久に歌謡的なメロディをくっつけることで生み出されるほのかな「ポンっぽさ」を秘めたタイトル曲(のため、「I’m so sick」、「Eung Eung」、「Dumhdurum」、「Dilemma」は、レシピの根幹を保ちつつ、踏襲感を強く出さずに、ほとんど前例のない4曲連続ヒットを果たすことになる。)に立て続けに参加してきたB.E.P.の不在だ。「真似っこ」という意味の曲名がなかなか妙に感じられるのは、2020年代前半にずっとアイドル・ポップ・スタイルに影響力を及ぼしてきたニュー・ディスコの性質が、歌謡やアイドル・ポップのそれよりもずいぶん「ポップス」に合わせて強調されたためだ。2018年以降のタイトル曲がディスコとハウスの交差点を行き交うファンキーなベースラインをリズム的な柱にしたとしても、(今やSTAYCのトラックでも持て余すほど聴ける)B.E.P.の電子的なサウンドとそれに絡むメロディが全面的に出されていたことを考えると、「Copycat」はApinkの現代的なタイトル曲を電子的な音色と通俗的な旋律を組み合わせたペアとして強調するよりは、その根底にがっしり引かれていたディスコ的なベースリフを打ち出す方向に再編したものとも言える。

 

もちろん、このような特徴に従い、同時期のビルボードチャートのポップスの中から複数の名前を暗黙的なリファレンスとして引き合わせることもできるが、個人的には単純明快に繰り返されるこのグルーヴが「私が君を Copyしても 目まぐるしく夢中になったのは君のはずだと」という意味深な歌詞の直後に一瞬消え、かなり突拍子もなくスピードが遅くなるブリッジ区間に注目したい。このような急転換もアイドル・ポップに長いこと潜在していては、去年に入り「Next Level」で普遍化された方法論から急上昇し、「トレンド」になってしまった区間衝突技術の影響力が無分別に広がった結果と見なすこともできるが、少なくともここではその程度の衝撃波が主な目的ではなく、むしろそれと反対の現象が起きているように聴こえる。一つのトラックの中で先に登場したため安定的に感じられる世界で、パート間の過剰な衝突が発生すると、急激に上がった情報の値が聴き手を見知らぬ時空にひょういと連れていってくれるものとはちがい、「Copycat」でリズムの力を極限まで引き上げるよりは、安全な数値の限度内で繰り返すほうだったディスコ・グルーヴがそっと取り除かれる時、CHOBOMのトップラインは、少なくともApinkにとっては慣れないほうだったディスコ・ポップから歌謡の世界へしばらく舵を切り、親しみのあるいくつかのメロディとすれ違う。それはいわば、「Copycat」は厚い電子音とほのかなグルーヴ、そして歌謡的なメロディという3つの要素で結合されたApinkのトラックの構造を一層ずつ掘り下げていくようなものだ。豊かに編成されたエレクトロニックなダンス・ポップの層から、まず厚みのある電子音を取り除くと、ディスコ/ハウス・リズムのファンキーな骨格が現れ、またそのようなグルーヴまでしばし取り除くと、極めて歌謡的なメロディと声が現れるよう、レントゲンを撮るようにその構造を再編するわけだ。

 

一方、「Oscar」は二人の復讐劇というコンセプトでフィクション的な時空を具現し、Apinkの主な色彩よりは、全くちがう役目をCHOBOMに分配する。ワイパーが雨粒を拭き取る音と共に、点滅しながら盛り上がっていくシンセ音が前後に配置されただけにとどまらず、背景でコーラスとして上下する声を序盤でいきなり止めたり、呪文のように口ずさむサビにエフェクトをかけ、次の区間に移る時に微細ながら急速な転換が行われるなどの詳細は、アイドル・ポップらしい様式にさらに近く、人工的な楽しみを提供する。「Copycat」からつながるグルーヴ感が依然としてこのような特徴と駆け引きをするものの、神経質なギターリフや濃厚なシンセ音が付け足すもの寂しい質感と、それに合わせて明るく奇妙な雰囲気を終始一貫して行き来するメロディが主導権を奪う。最後のサビが終わった後、映画のエンドロールがゆっくり流れるように、不安げに沸き立つシンセ音と点滅する街灯のような電子音が残る余白を呑み込むのかと思いきや、最初の機械的なワイパーの音が再び現れるとともにシーンがついに終わり、この時の緊張感は、特にワイパーの音とシンセ音が交差する時に二重のどんでん返しのように逆手に取られる。このような瞬間的な不気味さがかなり随所に施された風景は、真ん中だけを切り取って聴くと、「ありきたりに広がる君の Universe」に感じられる「Oscar」の前後に意外な脈略を付与しつつも、トラックでは「It's my oscar(それが私のオスカー賞)」と言うように、相変わらず頭からつま先までトレンディなディスコ系の曲を装い、自分だけの「ちがうフリ Versus 知らないフリ」を白々しく続けていく。Apinkの世界にも「KOK KOK」、「What are you doing?」、「I Like That Kiss」、「Single Rider」など、合成的な電子音が衝突するあらゆる面をちゃんと強調したトラックがしっかり存在していただけに、「Oscar」は「Copycat」が追求するミニマルなグルーヴ感に自分だけの独特な役割を分配してもらう。

このようにCHOBOMというユニットとして「Copycat」がApinkの構造を単純明快に再編し、「Oscar」がかなり目新しくフィクション的な役を分配したため、結局Apinkの特徴を抽出してきたようなトラックとしては「Feel Something」を対応させるしかないだろう。しかし、これは結構短い尺のトラック自体にシンセ音がみっちり入り、一定の拍を強調しながら進行するからというより、強烈なキリングパートを鋭く狙い撃ちするBO MIと、そのしなやかさでラップ区間も繊細に扱うCHO RONGの両方の声がデュオとして発揮する力のためだ。Apinkのユニットが異なる音色を無理やり統一させたり、ちがいを誇張したりせずとも、全体としてのグループをどう構成するのかを簡素になったメンバーの組み合わせで聴かせる時、CHOBOMはお互いに一定の間隔を置きながらも、まさにその距離のおかげでお互いにしっかり向き合い、似ていける「コピーキャット」になることを希望する。(すでにNAM JOOとの公式的なデュエット経歴を持つ)BO MIが「似ていくお互いからもっと/離れられない一部になっていく」や「最初から一つだったように動く君と私」と歌うように、デュエットの醍醐味は、常に明確なちがいを見分けられる二つの声が音色の間の必然的な不和を消さずに、最終的には一つの単位に和する可能性にあるものだから。そうして「Feel Something」は、まるで二人だけの合唱団を構成するように、サビでコーラスをぎっしり積み上げ、多声的な音色を一から作ってしまう。「Copycat」の押しては引く恋物語と「Oscar」の引いては押す復讐劇のどちらも二人の間に生じる個別の力の格差を必要とする一方、「Feel Something」は「私たち」という複数より「私」という単数からなる二つの声を想像し、そうしてまとまった声はデュオであると同時にユニットであり、グループの部分としての一つの単位であるチーム、いわば「私たち」を想起させる。つまり、古典的なニュー・ジャック・スウィング様式のリズム感から取ってきたビートに弦楽器編成を加えることでその美しさを誇ろうが、メロディが持つ普遍的な力をポピュラー音楽の伝統的なパトスと組み合わせようが、Apinkは何よりもそれぞれ異なる声の間の平衡をとるバランスだけは頑なに保ってきたグループだったから。前例のない一貫性と耐久性を誇る経歴を今や実に11年間続けてきており、まるで何も力むことなかったと言わんばかりにスタイルの変化を敢行できた彼女たちならではの力が、まさにそこにあった。そのため、お互いに向かって近づいていく軌跡の上で、当たり前にズレや平行線が現れるとしても、「CHOBOM」としてはそれを充分、二人でありながら一つに表現できる:「尖っている線だっていいじゃない/私さえ良ければ Okay/One and only real of me」。

 

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