FEATURE
今日最も重要なヒップホップ・レーベル、Quality Control
HYBEとともに歩むQuality Control Musicと主要アーティスト7人
2023.03.29
Credit
文. カン・イルグォン(RHYTHMER、ポピュラー音楽評論家)
写真. QC Music
デフ・ジャム(Def Jam)、トミー・ボーイ(Tommy Boy)、デス・ロウ(Death Row)、アフターマス(Aftermath)、バッド・ボーイ(Bad Boy)、キャッシュ・マネー(Cash Money)、ノー・リミット(No Limit)、ラウド(Loud)、ロッカフェラ(Roc-A-Fella)、トップ・ドッグ(Top Dawg)…。ヒップホップの発展の裏には、常に有力レーベルの足跡が鮮明に刻まれている。アトランタに基盤をおくクオリティ・コントロール・ミュージック(以下「QC」)は、そのリストの中で2010年代以降最も重要なレーベルの一つだ。いわゆる今日のサウス・ヒップホップの聖地と言えるほどだ。
QCは、ヤング・ジージー(Young Jeezy)とグッチ・メイン(Gucci Mane)をマネジメントしていたケヴィン“コーチK”リー(Kevin “Coach K” LEE)と、ノー・リミット・レコーズのトップ、マスターP(Master P)をモデルにして成長したピエール“P”トーマス(Pierre “P” Thomas)が一緒に設立した。最初の12か月と100万ドルをかけて、本社を建て、ラジオ及びプロモーション・スタッフを雇い、デジタル時代のハイブリッド・カンパニーを構想した。彼らは潜在力のある新人をいち早く見つけると同時に、積極的にスカウトし、ソーシャル・ネットワークとストリーミング・プラットフォームに周期的に注意を払い、効果的に利用した。その結果、現地で影響力のあるプロデューサー、ゼイトーヴェン(Zaytoven)が話しているように、「アトランタで最も人気のあるアーティストをすべて抱えた」レーベルになった。
レーベルの成長を牽引したグループ、ミーゴス(Migos)をはじめとして、リル・ベイビー(Lil Baby)、シティー・ガールズ(City Girls)、リル・ヨッティー(Lil Yachty)のように、現在のヒップホップ・トレンドをリードするスター軍団から、ラキーヤ(Lakeyah)やデューク・デュース(Duke Deuce)をはじめとして、マーロ(Marlo)、24ヘヴィー(24 Heavy)、バンクロール・フレディ(Bankroll Freddie)、ジェイヴィー・フォックス(Javy Fox)、ジョーダン・ハリウッド(Jordan Hollywood)、コリジョン(Kollision)、メトロ・マーズ(Metro Marrs)、クェイ・グローバル(Quay Global)、ウェイビー・ネイビー・プー(Wavy Navy Pooh)、レイトン・グリーン(Layton Greene)のように、個性と実力を兼ね備えた新人がずらりと並ぶ。
2015年、コーチKとPは「ビルボード」誌のインタビューで、「世界的なレーベル」になりたいという抱負を明かしている。そして5年も経たないうちに、「世界的」レーベルどころか、「世界で最も重要な」レーベルになった。その秘訣が何なのかは、この会社とともに活動中のアーティストの面々と、彼らが発表した作品の成果だけを見ても充分にわかるだろう。ここにQCの底力を体感させてくれる主要アーティスト7人を紹介する。
Migos
QCの看板アーティストはやはりミーゴスだ。ユニークなことに、2人の叔父(Quavo、Offset)と甥(Takeoff)が一つになった彼らは、ラップスターを超え、ヒップホップ・アイコンとして仰がれている。もともと決めていたグループ名はポロ・クラブ(Polo Club)。しかしあまりに一般的だと思い、今の名前に変えた。友だちという意味のスペイン語アミーゴス(Amigos)から由来している。世間では1986年のコメディ映画『サボテン・ブラザース(原題『Three Amigos』)』から取ったと思われているが、2013年グループがラジオ局「Hot 97」のインタビューで明かしたところによると、「それは偶然の一致だった」。
2008年に結成されたミーゴスが最初に頭角を現したのは2013年。3番目のミックステープ『Y.R.N.(Young Rich Niggas)』を発表してからだ。当時のトレンドとして浮上していたトラップミュージックを存分に取り込んだ作品だった。特にシングル「Versace」がもたらした衝撃は相当なものだった。別名トリプレット・フロウ(Triplet Flow)というラップスタイルがある。最初の音節に強拍をおいて、ぶつぶつ途切れるように繰り出すすラップを指す。2010年代以降、トラップミュージックを追求するラッパーのほとんどが駆使している。韓国のラッパーたちも例外ではない。例えるなら、今日の有名レストランの看板メニューのようなラップスタイルだ。このトリプレット・フロウを流行の最前線に引き上げたのが、まさに「Versace」だ。そのため別名ヴェルサーチェ・フロウとも呼ばれる。
表面に現れた成果は微々たるものに見えたが(ビルボードHOT100で99位)、実質的な反応はすごかった。アメリカだけで50万以上のダウンロードを記録してゴールドを獲得し、ドレイク(Drake)がリミックスに参加するなど、その年最も話題を集めた曲となった。ビルボードは「(ジャンルを問わず)2010年代を定義する100曲」の一つに選んだほどだ。「Versace」を筆頭に、ミーゴスのヒットは続いた。「Handsome And Wealthy」、「Look At My Dab」、「Bad and Boujee(Feat. Lil Uzi Vert)」、「T-Shirt」、「MotorSport」、「Stir Fry」、「Walk It Talk It(Feat. Drake)」、「Pure Water」、「Need It(Feat. YoungBoy Never Broke Again)」などは、「ミーゴス式トラップミュージック」をそのまま感じられる代表曲だ。
このうち2015年に発表した「Look At My Dab」は、ダブダンスが大衆化されるのに一役買った。ダブダンスは、斜め上に角度をつけた腕の折り曲げられた部分に頭を落とし、もう一方の腕を平行に伸ばして上げるジェスチャーのダンスだ。2010年代に若者の間で流行り、インターネットのミームとなって、文化として定着した。ダブは既にずいぶん前からあったが、多くの大衆がその起源をミーゴスだと思っているほど、「Look At My Dab」の影響は非常に大きかった。
ミーゴスのトラップミュージックは、彼らがアトランタで育ち、目撃したことを基に完成された。新人、ベテランを問わず、多くのラッパーが真似するようになったトリプレット・フロウ、3人のメンバーの組み合わせが作り出した中毒性のあるサビ、いきなり飛び出す多彩なアドリブ、音楽だけでなく、ダンス、ファッション、ミュージック・ビデオを通して及ぼす文化的な影響力まで、ミーゴスのステータスは誰も否定できないほどに高まった。グループが2017年を起点に続けて発表した『Culture』トリロジーは、タイトルからしてそのようなミーゴスの、唯一無二の立ち位置を代弁していた。
だが2022年、ミーゴスは内部的に大きな変化を迎える。オフセットがグループを離れ、クエイヴォとテイクオフのデュオ体制になったのだ。ところがそれもまた長くは続かなかった。2022年11月1日、ヒューストンのボウリング場でクエイヴォと他の人たちと一緒にいたテイクオフが、銃で撃たれて死亡したからだ。ゲーム中、他のグループと言い争いになったために起きた事件だった。まったく予想できなかった悲劇を前に、クエイヴォは嗚咽し、多くのヒップホップファンとメディアが衝撃の中で哀悼の意を表した。そのため今後の計画を論じるには適切ではない時期だが、ミーゴスが残した遺産と存在感が持つオーラは依然として健在だ。
Takeoffの死を心から悼んで…
R.I.P. Takeoff, 1994.06.18 - 2022.11.01
Lil Baby
幼い頃から不遇な境遇のために、容易ではない人生にその身を投じられたラッパーたちは、自分の子を含む世の子どもたちが、自分のように生きることがないよう願っている。もう少し良い環境の中で、合法的な仕事をしながらだ。リル・ベイビーも同じだ。彼はかつてストリートで不法な生活を続けていたため、財政的には安定した生活を送っていた。QC設立者であるケヴィン“コーチK”リーが、リル・ベイビー特有のスワッグとラップの才能を見出し、ラッパーになるよう勧めたが、彼にそんな考えはまったくなかった。
決心が変わったのは刑務所に行ってきてからだ。不法なことを犯した後2年間の投獄生活を終えた彼は、その後も続いた“コーチK”リーの説得に、ついには音楽に情熱を注ぐことにする。2017年のミックステープ『Perfect Timing』が始まりだった。それ以降恐るべきスピードで、シングルと(ミックステープを含む)アルバムをレコーディングし、発売した。創作に対するベイビーの献身は、すぐに驚くべき結果を生む。作品を重ねるにつれ、個性とラップの実力がさらに輝きを放ち、商業的にも評論的にも良い反応が続いた。
ウィットに富んだ言葉で駆使するワードプレイ、ストリート生活について美化することなしに没入させるストーリーテリング、中毒性のあるサビ作り、時折タイトに追い立てるラップ、そのすべてが組み合わさったリル・ベイビーのストリート賛歌に、多くの人が熱狂した。デビューシングル「My Dawg」からプラチナを記録した彼のディスコグラフィには、「Freestyle」、「Yes Indeed」、「Drip Too Hard」、「Close Friends」、「Woah」、「Sum 2 Prove」、「On Me」など、立て続けの大成功の痕跡が際立つ。
飽和状態に至って久しいトラップミュージックとシンギングラップの時代に、彼は、同じだがレベルの違う武器を装着した状態で勝負をかけた。また、大きな成功を何度も味わったにもかかわらず、それに甘んじることなく創作意欲をさらに爆発させた。その結果、QCの共同創立者ピエール“P”トーマスの表現のように、「現ヒップホップ界で最も輝く星の一つ」になった。
City Girls
ヤング・マイアミ(Yung Miami)とJTが結成したシティー・ガールズは、ヒップホップシーンでは珍しい女性ラップ・デュオだ。そしてそのチーム構成ぐらい珍しい音楽スタイルを駆使して注目を浴びた。全般的に彼女たちもまたトラップミュージックに基盤をおいていたが、このデュオの名前を世界のファンたちに刻んだ「Twerk」では、過去のジャンルを探究していた。それがまさにニューオーリンズ・バウンス(New Orleans Bounce)とマイアミ・ベース(Miami Bass)だ。
前者は、ニューオーリンズのジャズとセカンド・ライン・パレードの文化をルーツとした、トゥワーキングに特化された躍動的なヒップホップで、後者は1980年代に流行したエレクトロ・ファンク(Electro Funk)とラップの結合が生んだ、パーティーに最適化されたヒップホップだ。つまりトレンドの最前線にいながら、トレンドのルーツに遡っていったわけだ。単にプロダクティングだけでなく、シティー・ガールズは出身地であるマイアミとその地で経験したことを、憚ることなくラップで表現した。
2018年に発表したデビュー・ミックステープ『Period』を作る時から、彼女たちは根気強く努力し、怖いものなしの態度を堅持した。自己規制などとはかけ離れていた。その過程で物議を醸したりもしたが、独立した女性に賛辞を送り、マイアミ・ヒップホップの先駆者と歴史に敬意を表する姿が、多くの人々を魅了した。カーディ・B(Cardi B)がコラボした「Twerk」以外にも、「Act Up」、「Pussy Talk(Feat. Doja Cat)」、「Twerkulator」などのヒットシングルを立て続けに出し、レーベルの代表アーティストの一組としてその地位を確立した。
Lil Yachty
2010年代に入り、ヒップホップ界の風景は急激に変わり始めた。その中でも最も際立つ部分を挙げるとしたら、まったく新しいタイプの新人ラッパーが登場したことだ。オンライン音楽共有プラットフォームSoundCloudをベースに活動していて、そこからスターとして飛躍する人たちと、ヒップホップではなくロックあるいはポップ・ミュージックを聴いて吸収してきたラッパーが出てきた。その過程で、ぶつぶつつぶやいたり言葉を不明瞭に発する、いわゆる「マンブル・ラップ(Mumble Rap)」スタイルが広く流行した。にわかに起こった型破りなムーブメントを前にして、自ずと物議も醸した。
リル・ヨッティーは、そのすべての状況に当てはまるラップスターだ。彼はヒップホップ、R&Bよりポップスを好んで聴いていて、音楽ではなくファッションで、デビュー前からSNSで多くのフォロワーを掴んでおり、アニメーションやゲーム・サウンドをたびたびサンプリングしていた。特に彼は、『ローリング・ストーン』誌のインタビューで、自身の音楽のことを「バブルガム・トラップ(Bubblegum Trap/注:主に10代をターゲットにした、手軽に聴ける軽快で大衆的なポップ・ミュージックを指す『バブルガム・ポップ』になぞらえた表現だ。時折このジャンルを卑下する意味でも使われる)」と定義した。それほどヨッティーは、「まじめ」というキーワードを重要に考えていなかった。
意図的にふざけて聴き苦しくする、時にはとてもアマチュアっぽくて戸惑うような曲を繰り出した。そのために論争を巻き起こしたが、結果的に雨後の筍のように登場した新人ラッパーたちの中で、ヨッティーを際立たせる個性として作用した。デビュー公式ミックステープ『Lil Boat』のシングル「One Night」と「Minnesota」をはじめ、ドラム(D.R.A.M.)とコラボした「Broccoli」、ミーゴスがフィーチャリングした「Peek A Boo」、「Ice Tray」、「Who Want The Smoke?」などがヒットし、今日の若者の間で最も人気のあるラッパーの一人になった。一方、今年1月に発表した最新のフルアルバム『Let’s Start Here』では、ラップ/ヒップホップではない、「サイケデリック・オルタナティブ」ミュージックを披露している。以前と異なる重厚なムードと完成度に、別の意味で戸惑ってしまうほどだ。ここまでくると、最初からヨッティーは優れた戦略家だったのではないだろうかと思う。
Duke Deuce
ヒップホップ界のメインストリームをリードする今のサウス・ヒップホップは、トラップ(Trap)とドリル(Drill)に代表される。ところがそれより先にサウスをヒップホップシーンの中心に押し上げたのは、クランク(Crunk)だった。プロデューサーでありラッパーのリル・ジョン(Lil Jon)が創り出したクランクは、シンプルな808ドラム・サウンド、極度に目立ってリピートされるシンセサイザー、ずっしりとしたベース、まるで叫び声のようなラップの組み合わせが特徴だ。2000年代序盤、嵐のような反響を呼んだ。全盛期が長くはなかったものの、トラップミュージックの時代に向かう架け橋の役割もまた充分に果たしていた。
メンフィス出身の新人、デューク・デュース(Duke Deuce)がその他の新人たちの中で目を引いたのは、まさにそのクランクを追求したからだ。彼は故郷が生んだサブジャンルを基にして、まったく新しいクラブバンガーを創り出した。QC所属で、モータウン(Motown)の強大な宣伝力までを後ろ盾に発表した、2021年のアルバム『Duke Nukem』は、彼の存在感を人々の心に刻みつけるには決定的だった。クランクの二本柱であるリル・ジョンの陽気なサウンドと、スリー・シックス・マフィア(Three 6 Mafia)のダークなサウンドの中間辺り帯で、独自のクランクを構築した。
デュークは、終始一貫してノリの良さを失わないサウンド・プロダクションの中で、強力なエネルギーを放つラップにより緊張感を引き上げる。特に曲ごとに挿入された、彼ならではのオリジナルのコール(「What The Fu@k!!」)がもたらす快感も相当なものだ。クランクの復活を宣言した「Crunk Ain’t Dead」や『Duke Nukem』のシングルだった「SOLDIERS STEPPIN」などは、デューク・デュースが持つキャラクターと長所をそのまま感じられる曲だ。
Lakeyah
ミルウォーキー生まれのシンガーでラッパーのラキーヤは、QCの未来と言っても過言ではない。まだフルアルバムはないが、ミックステープとEPを通してレーベルに迎え入れられた理由を証明した。彼女は2019年にSNSで拡散したシティー・ガールズの「ファースト・デイ・アウト(First Day Out)」のラップ・チャレンジに参加し、独特なスタイルと才能で口コミが広がった。そして待望の2020年、フォートゥー・ダグ(42 Dugg)とリル・ベイビー(Lil Baby)が歌った「We Paid」のビートの上にラップを乗せた曲が良い反応を得て、QCの新たな一員になる。
ラキーヤは、攻撃的で自己顕示的なラップとソウルフルなR&Bの間を自由に行き来する。そのように恵まれた才能がベースとなって、さまざまなメディアから「注目すべき新人」と称された。その中でも2021年、「XXL」マガジンの「フレッシュマン・クラス(Freshman Class)」に選ばれたことが決定的だ。毎年発表される「フレッシュマン・クラス」は、ラップスターに向かうための一種の関門のようなものだ。少数の新人だけが選ばれる。ケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)、トラヴィス・スコット(Travis Scott)、チャンス・ザ・ラッパー(Chance the Rapper)、ミーガン・ザ・スタリオン(Megan Thee Stallion)などのラップスターが、新人の頃このリストを経ていった。ラキーヤは14年の間続いた「フレッシュマン・クラス」で指名された、初めてのミルウォーキー・ラッパーだった。
Layton Greene
シンガーソングライター、レイトン・グリーンは、QC初のR&Bアーティストだ。2017年コダック・ブラック(Kodak Black)の「Roll in Peace」をリミックスし、自ら作ったビデオをSNSにアップした後、口コミで広がった。その後正式にレコーディングしたリミックスのエクステンデッド・バージョンが、SoundCloudで350万回以上再生され、ビルボードR&Bソング・チャート15位内に入るという成功を収める。その時から各レーベルが彼女に注目し始めた。
特にグリーンは、「切に願えば叶う」という命題、すなわちピグマリオン効果の生き証人だ。7歳の時初めて音楽的才能に気づいて以来、彼女はプロ・シンガーになると確信した。いつか有名になると思っていた。だから10代の頃、『Xファクター(The X Factor)』と『アメリカズ・ゴット・タレント(America’s Got Talent)』のオーディションで落ちた時も、落ち込んだり戸惑うことはなかった。グリーンはひたすらプロ・シンガーになるために努力することに集中し、結局QCにスカウトされ、最も注目すべきR&B新人歌手の一人となった。
Copyright © Weverse Magazine. All rights reserved.
無断転載及び再配布禁止
無断転載及び再配布禁止