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文. ファン・ソノプ(ポピュラー音楽評論家)
写真. Warner Music Japan

初めてちゃんみなを見たときの記憶は忘れがたい。日本でデビューしたにもかかわらず妙に韓国らしさのある名前、そこに日韓両国にルーツを持っているという背景がある点、そして、何でもないようにそのアイデンティティを積極的に明らかにしているという点。私にとって彼女は、これまで見たことのない新種に思えたと同時に、成功を予感させる潜在力なモンスターだった。そんなちゃんみなが音楽シーンに登場してから早7年。リリースを重ねて日本武道館や横浜アリーナ単独公演を行い、名実ともにプロミュージシャンに成長し、相当の影響力を誇示するセレブになった。


日本で主に活動してきたものの、韓国でもその名には馴染みがある。昨年韓国デビューを果たし、TAEYEONとYENAの日本でのリリース曲にフィーチャリングで参加するなど、着実に両国との接点を持ち続けているからだ。強いイメージと攻撃的なラップスタイルで武装したスタイルが彼女の第一印象だが、曲を聴いていくと、自らの欠乏をトラウマ克服のための勇気に変えていく繊細な一面を持つアーティストだと分かる。日韓両国の架け橋になりたいと語る彼女。2つの国の間に架かるのみならず、全体を一つに繋げる存在へと進み続けるアーティスト、ちゃんみな。その真髄を知るのに相応しい、彼女のキャリアを振り返るトラックの数々を紹介したい。

「未成年 feat.めっし」

小さな頃から自然と歌手の夢を胸に抱き、BIGBANGの「HARU HARU」をきっかけにラップとヒップホップに目覚めたちゃんみな。本格的にデビューを模索していたところ、彼女のレーダーが捉えたのが高校生対象のサバイバル番組である『BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権』だった。結果は惜しくも2回戦敗退だったが、ブラウン管を通じて伝わった原石としての魅力は、彼女に「練馬のビヨンセ」という称号を与えた。
 

この曲は放送当日リリースのデビュー曲として、iTunes Storeヒップホップランキングで1位に輝き、その名前を初めて大衆に知らせた楽曲だ。挑発的な表現で武装した自己紹介が、番組と相まって同世代からの大きな反響を呼んだ。ちなみに、フィーチャリングを務めためっしは同じ夢を抱く同級生で、群衆の前で歌った経験のない彼女をステージに立たせるために作った曲だという逸話がある。たった一日で披露したポテンシャルが、多くのラブコールを集めたのは必然だった。当時16歳のちゃんみなが、一気に「アーティスト」という称号を得た瞬間だった。

「Pain is Beauty」

祖母と母は、彼女にたびたび“Pain is Beauty”と言ってきかせたという。今感じる痛みが未来にやってくる危機を克服する力になるという格言だが、その意味をきちんと理解するには彼女はまだ幼かった。アーティストとして活動を始め、様々な仕事に取り組む過程で、彼女はその真意を徐々に悟る。失敗や失恋などによる悲しみやコンプレックスが、自分が生み出す芸術の美しさに生まれ変わるということを。その気づきが、20歳の記念にリリースしたこの「Pain is Beauty」に込められている。
 

ロックをベースにした伴奏の上にエモーショナルなラップを重ねた曲調には、音楽を好きになり始めた当時の好みが反映されており、自分に向かう心無い非難の数々を甘んじて受け入れはするが、今に見ていろという台風前夜のムードが漂っている。レーベル移籍と共に、その後の活動の方向性のゼロ地点となったとも言えるトラックだ。

「I’m a Pop」

自らのアイデンティティと共に偏見に立ち向かう意志が見える楽曲だ。世間が要求する基準に息苦しさを感じていたタイミングで作られた作品で、ちゃんみなは「私はポップでもあり、ロックでもあり、ヒップホップでもある」と歌い、自分に向けられた物差しに対して反感を露わにしている。「私自身を私が直接定義する」という意志は、アーティストとしての自我を取り戻そうという覚醒につながる。
 

注目すべきは曲中に挿入された韓国詞だ。日本人の父と韓国人の母の間に生まれたというルーツを生かし、どちらか一方に自身を閉じ込めないというメッセージを、説得力ある形で完成させている。また、重くて悲壮なビートの上でヴァースによって展開を生む巧みなパフォーマンスが、ちゃんみなが「努力」の才能も兼ね備えていること、そして彼女の力量が完成段階にあることを宣言している作品である。

「Never Grow Up」

彼女は歌が「自分を盛る器」だと話す。それゆえ、過去の経験から生まれた考えや感情がありのままにリリックになることが多い。特にラブソングでそうした側面が強くなっていくのだが、代表曲の一つとして定着したこの作品もその一例だ。別れに後悔や未練を抱きつつ、成長できない自分をラテンポップの物悲しいムードで描くこの曲は、「自分に満足できないけれど、結局それも自分自身」という彼女の考えを代弁しているように感じられる。ちなみに、曲中の相手が「LADY」や「OVER」、「CHOCOLATE」と同じ人物だと言及して注目されることもあった。ボーカルの割合を増やした構成によって、「ラッパー」の枠を超えたオールラウンドプレーヤーとして生まれ変わりつつある彼女を見ることができる楽曲だ。

「美人」

デビュー当時のちゃんみなは、外見についての悪質なコメントに耐えることを余儀なくされた。そのストレスで痩せた自分を見て、「きれいになったね」と評する人々の反応が奇怪に感じられたという。「醜いブスが歌ってんじゃないよ」という歌詞からも分かるように、その経験はルッキズムへの批判と同時に、世の中で言われる「美」から脱し、自分だけの美しさを見出だそうという曲のテーマに変貌した。
 

強い色のイメージとスタイリング、なかでも後半に挿入された自死シーンによってミュージックビデオが論争を呼び、単独公演〈AREA OF DIAMOND〉では、メイクを落とす演出で自身のメッセージを観客に伝えた。過去の痛みをポジティブなメッセージに昇華するエゴが、先述した「Pain is Beauty」のアティチュードと繋がっているとも言えるだろう。自伝的リリックによって聴衆の共感を引き出した従来の曲作りから離れ、はっきりリスナーを意識して書かれたという点で、この曲が彼女のディスコグラフィーの中でも特別である理由が分かる。様々な感情が凝縮された叫びにも似た、ラストのボーカルはまさに圧巻。

「Don’t go (feat. ASH ISLAND)」

ちゃんみなのアーティスト活動は、再び新たな局面を迎える。より真剣に音楽と向き合うためには、自分を包んだ装飾を取り除かなければならないと判断したからだ。そういった意図から生まれたフルアルバム『Naked』は、K-POPにもJ-POPにもPOPにも包括されない彼女だけのポジショニングを打ち出し、これまでにない光を放つ作品だ。
 

その中でも「Don't go」は韓国語と英語詞のみで構成された韓国デビューシングルで、躍動的なリズムとレトロな旋律のコンビネーションがこれまでとは別の側面を見せる楽曲だ。これまで自身が歌ってきたメッセージと同じものを持っていると感じたことが、ASH ISLANDにオファーをかけた理由だと語っている。似通った感情を共有する2人から生まれるシナジーはもちろん、日本語とは全く違う韓国語での歌唱のニュアンスも聴いていて楽しい。ちなみに、活動当時の青い髪は太極旗をモチーフにしたものだという。

「I’m Not OK」

アルバム『Naked』の冒頭では何でもない振り、「大丈夫な」振りをしていた(「Good」)ものの、それは実は「大丈夫じゃない」と言うためだったことを、ちゃんみなはこの曲で打ち明ける。近年、再び追い風が吹いているポップパンクの勢いに乘り、2000年代のアヴリル・ラヴィーンが憑依したような声で「私は不安定すぎるけど、だからこそ私でいられて、こうやって音楽ができて、この姿が今のちゃんみなには似合ってる」と叫ぶ。ネガティブな感情は誰もが直面するものであり、それに背を向けるのではなく受け入れて世界に吐露する先例を作っていくことが、自分のキャリアのベースにあると語る彼女。OKではない状態が自分にとってはOKだというアイロニー、傷ついても飾ることなく、純粋に音楽を向き合おうとする勇気。それらは今後、どれほど大きな美しさを作り出すだろうか。私自身もまた、ありのままの姿で見守っていきたい。