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文. ファン・ソノプ(ポピュラー音楽評論家)
写真. UNIVERSAL MUSIC JAPAN
この9月、日本のポップミュージック史に刻まれる大ニュースが飛び込んできた。それは、Adoの全国ツアー〈マーズ〉の最終日に発表された、来年4月、国立競技場での単独ライブ開催の一報だった。歴史を振り返ってみても、この巨大なステージに立ったのはSMAP、DREAMS COME TRUE、嵐、矢沢永吉など、7チームしかいない。このリストにAdoの名が刻まれることになるとは、新国立競技場ができた2020年当時、誰も予想できなかったはずだ。ここに「女性ソロアーティスト初」という称号まで加わった、比較不能な名誉。Adoは3年半にしてシーンの勢力図と固定観念を覆し、新たなトップランナーになった。
 
彼女のデビューについて見ていくためには、「ボカロネイティブ世代」というワードを外すことはできない。初音ミクに触発されたボーカロイド、歌い手ベースのプラットフォーム「ニコニコ動画」が巨大なサブカルチャー・マーケットとして生まれ変わってからおよそ10年。今、10代の多くはポップミュージックの文法を拒み、ニコニコ動画で共有されるコンテンツをインタラクティブに楽しんでいる。Adoもまた、一般的なJ-POPとの目立った接触はなしに、歌い手として自身のキャリアをスタートさせたアーティストのうちの一人だ。
自分に自信がなく、人前に立つのが苦手で、将来はきっとニートになるだろうと早々に社会生活を諦めていた、自己嫌悪に満ちた子供。そんな彼女に一筋の光のように現れたのが「歌い手」だった。顔や本名を公開する必要がなく、歌のみで自分を見せ、評価される場所だということが彼女に自信を与えた。そうして中学校2年生だった2017年、初めて作品をアップロードして活動を開始し、2020年に有名ボーカロイド・プロデューサー(ボカロP)であるjon-YAKITORYの作品にボーカリストとして参加した「シカバネーゼ」がSpotifyバイラルチャート1位になり、徐々にその名前が知られはじめる。
 
――匿名性の高い歌い手というスタイルを選んだのも、ご自身にとってなじみ深かったからですか?

Ado:そもそも私は勉強も運動も苦手で、自分自身に何の取り柄もないと思っているところがあって。何に対しても自信がないし、クラスの中で特別人気者でもおもしろい人でもなかったから、それが積み重なることでけっこう大きなコンプレックスになっていたんです。本当に陰の陰の陰の人間というか(笑)。だから顔出しをして活動をするのは絶対ムリだなと最初から思っていたんですよ。でも、歌い手の人たちは顔も本名も明かさないし、どこに住んで何をしているかもわからないけど、ネット上ではしっかり活動ができていて、たくさんの人に評価されていたりもするわけで。そのこと自体が私にはキラキラして見えたし、同時にここならば自分にも何かができるかもしれないと思えたんですよね。

―2021年10月19日、Real Soundインタビューより
当時は米津玄師のヒットを機に、大型レーベルがボーカロイドシーンに隠れた原石を見つけようとしていた時期であり、彼女の才能もまた、そのレーダーに検知された。2020年10月、AdoはボカロPでありシンガーソングライターのsyudou作詞作曲の「うっせぇわ」でメジャーデビューを果たした。10代の情緒を代弁した過激な歌詞が話題を集め、驚くべきスピードで波及した結果、翌年3月にBillboard Japanチャートのストリーミング累計再生回数1億回を突破するに至った。その速度は歴代6位であり、ソロとしては最年少の記録。時代の変革を宣言する、衝撃的な登場だった。
 
このヒットがより異例のものだった理由は、先ほど述べたサブカルチャーの情緒をそのまま維持して生み出した結果であったからだ。数多くのボカロPや歌い手たちがメジャー市場に流入してきたが、ある程度一般リスナーとの妥協を常に心がけてプロデュースされるケースがほとんどだった。活動名を変えたり、ボーカリストと共にユニットの形でデビューしたり、音楽スタイルや歌詞を「ポップミュージックの文法」に合わせて変えるなど。この曲には、そのような痕跡が全く見えない。これまでとはまったく違う道を選んだわけだ。この戦略には、ポップミュージックシーンがファンダム中心の文化に変化していく傾向に加えて、サブカルチャーシーンの勢力が世間に波及を起こすほどの規模になったというレーベル側の判断があったのだろう。
 
もちろん、この曲の歌詞があれほど議論を呼んだのは、全面的にAdoの歌唱力によるものだった。パートごとに多様に変化し、キャラクターを変えていく繊細な表現力と、地声と裏声を行き来する幅広いボーカル、声量とパワーで聴く者を圧倒するフィジカルまで。社会から逃げ出してオンラインに避難した少女が敗北感はそのままに「うっせぇわ」と歌い、これまでの世代との断絶を告げるその姿を前にして、人々はもはや新たな世代の出現を無視することはできなかった。冒険さながらの果敢な一手は、彼女を一躍注目の新星にし、「うっせぇわ」という単語は、様々な社会的議論を生んでその年の流行語大賞TOP10にもなった。
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そのような追い風に乗って作られた初のフルアルバム『狂言』(2022)は、メインストリームという領土内に、自分たちの領域が存在することを公に宣言する作品である点に意味がある。ボカロPから提供された全ての収録曲は、このシーンがどれほど大きな多様性を糧に成長してきたかを示す一つの物語になっている。すりぃ、みゆはん、柊キライ、てにをは、Neru、ドーム公演という奇跡を成し遂げたまふまふまで。まさにオールスター勢揃いと言っても過言ではないラインアップだ。集結したスターたちが、それぞれのアイデンティティを優れたペルソナに投影し、少しでもこのシーンに対する理解があるリスナーにとっては、それこそ「夢のアルバム」が現実のものになったとも言える。
 
もちろんその中心には、誰とも比較不能なAdoの「歌」がある。EDMとK-POPサウンドをメインに制作を行うGigaとTeddyLoidの合作「踊」では、リズミカルな伴奏に負けずに巧みな強弱調節で見事な駆け引きを見せ、ホーンセッションの加勢で巨大なスケールを実現した「阿修羅ちゃん」では、曲のスピード感に負けない歌詞運びと、適材適所に入った絶叫が曲のカタルシスを倍増させた。
 
チルなムードのシンセポップトラック「花火」では、少々力を抜いて呼吸を整え、全体の流れを見渡し、J-POPの文法が染み渡った「会いたくて」では、起承転結を意識し、感情の流れを比較的ゆっくり高めていく。一筋縄ではいかないトラックばかりだが、Adoは自由自在に表情を変えて14人の主人公に扮し、制作者が意図したベクトルを120%以上に具現化してみせる。そんな彼女に、どんなプロデューサーがコラボレーションを拒否できるだろうか。むしろ、Adoという存在が彼らの職人魂を刺激していると言った方が正しいのかもしれない。
基盤をある程度確保したAdoだったが、序盤の話題集めによって生まれた一般大衆の関心を、彼女に対する支持に還元するには決定的なものが足りなかった。それもそのはず、1stアルバムの収録曲は、楽曲提供者らの性格上、多少マニアックになるしかなかったからだ。これに対してレーベルは、一般リスナーとの距離感を縮める切り札をすばやく準備した。それが、劇場版アニメ『ONE PIECE FILM RED』だった。Adoは登場人物である「ウタ」の歌声を担当し、「J-POPアーティストとしてのAdo」に光を当てる戦略の舵を切った。

Adoはこの国民的アニメにメインキャラ級で出演した上、全体の上映時間のうち、ミュージカルシーンを含めて20分あまりにわたって歌唱を披露した。サウンドトラックには、エレクトロニカ職人の中田ヤスタカ、Mrs. GREEN APPLEのフロントマンである大森元貴、マルチエンターテイナーの新星Vaundy、叙情的な楽曲で人気を得ている秦基博などが参加した。ここでは、メジャーシーンのオールスターが彼女のサポーターを自ら決めて新たな音楽風景を描いている。適切なタイミングで、最も効果的な物量攻勢がかけられたわけだ。結局、劇場版アニメの人気と共に、Adoという名前が全方位的に知られるきっかけになり、同年の日本レコード大賞で「新時代」が最優秀作品賞を受賞した上、大晦日の紅白歌合戦にも出演し、老若男女を問わず広くその名を印象付けるに至った。このように、普遍的な魅力を前面に打ちだす作品が完成した瞬間、Adoは2つの領域の武器を巧みに扱う「二刀流」として生まれ変わったのだ。
 
このような二刀流ベースの活動は、現在でも続いている。『ONE PIECE』以降にリリースされたシングルを基準に説明してみよう。Chinozo、ピノキオピー、Giga、TeddyLoidなどが参加したサブカルチャーサイド、椎名林檎、Vaundy、B’zなどが協力したメジャーサイドに分けることができる。それぞれのカラーがこれ以上なくはっきりしているため、リスナーとしては実に興味深い。前者は、ボカロPたちが自らのアイデンティティにどのような解釈を加えているのか、後者は、大物アーティストらが長年かけて確立してきたアイデンティティをどう克服するのかを見守る楽しさが、それぞれに味わい深いのだ。
この8月には、LE SSERAFIMの「UNFORGIVEN(Japanese ver.)」にフィーチャリング参加し、意義深いコラボレーションを実現した。普段からaespaやIVE、Kep1erを聴き、共演したラジオ番組でもLE SSERAFIMのオリジナルコンテンツを楽しむFEARNOTを自称するほどK-POP愛あふれる彼女であるだけに、さらに意味のあるコラボだったのではないだろうか。また、韓国でも多くのファンに愛されているアニメーション『SPY×FAMILY』シーズン2のオープニングに「クラクラ」がタイアップされるなど、海の向こうでも徐々に認知度を上げている。
 
歌手になりたいという夢は、自分の全てを見せたいということを必ずしも意味しない。人前に出ることを恐れる人はどこにでもいる。特に、近年のようにSNSを通じた他人との比較によって自己嫌悪に陥りやすい世代ではなおさらだろう。そんな人々にとって、Adoの成功はよい先行事例になる。彼女は顔を見せることなく、なかなか接する機会のない一般人にもボーカロイドや歌い手の魅力を広く知らせた。また従来の支持層には、いつまでも非主流だと思っていた自分たちのヒーローが時代の代表になれることを証明した。その基盤には、堅い地盤を構築してきた日本ポップカルチャーの歴史がある。ニコニコ動画というプラットフォームに、様々なアーティストを通じて検証された神秘主義プロモーション戦略。また、『ONE PIECE』という魅力的なIPと巨大なタイアップ市場が長期間にわたってそれぞれの領域を構築していなければ、Adoのメインストリーム征服は容易ではなかったはずだ。
 
こういった事例は、全てを見せてシェアするK-POPビジネスとは反対に見えるかもしれない。しかし、現時点で一つはっきりしているのは、韓国でもこのような匿名性を前面に出すネット基盤のアーティストが増えるだろうということだ。それは、日韓両国のティーンエイジャーが経験している他人との比較、果てなき競争といった状況が、決して互いに異質のものではないからだ。韓国発バンドdareharuの「閻魔(Karma)」は再生回数2,500万回を記録し、韓国を代表する歌い手であるRaonとDAZBEEは日本のレーベルと契約して積極的な活動を展開している。また、バーチャルYouTuberで構成されたISEGYE IDOLは、音楽配信サービスMelonの「名誉の殿堂」にどのアーティストよりも早く4度選出されて人気を博すなど、すでに少しずつその前兆が現れていることを認識する必要がある。海の向こうのボカロネイティブ世代が音楽シーンに放った驚くべき波紋、そのバタフライ・エフェクトは、すでにここ韓国にも大きな影響を及ぼしている。Adoの登場と成功、それはむしろ韓国でより激しい暴風雨をもたらすかもしれない出来事だ。