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文. カン・ミョンソク
写真. Korean National Commission for UNESCO

去る11月14日、SEVENTEENのメンバーSEUNGKWANはフランス・パリにあるユネスコ(UNESCO)本部で開かれた青年フォーラムのスピーチの舞台に立った。スピーチで明かしているように、図らずも彼はユネスコが生物圏保存地域、世界自然遺産、世界ジオパークに指定した済州島出身だ。SEVENTEENがユネスコの青年フォーラムでのスピーチのひと月前に、ニューアルバム『SEVENTEENTH HEAVEN』のタイトル曲「God of Music」を発表したこともまた素敵な偶然だ。「全世界共通のLanguage」、音楽で「僕らは今からは大の親友」になるという曲が、全世界の青年たちがより良い世の中のための話題を投げかける青年フォーラムで響き渡った。

 

しかし済州島で歌手になる夢を育んでいた少年が、パリのユネスコ本部で「God of Music」を歌うまでの過程は決して偶然ではない。SEVENTEENのメンバーでありプロデューサーのWOOZIはスピーチの途中で、SEVENTEENのメンバーの人数、13人はあまりにも多いと言われ、デビュー後に失敗するだろうという視線を受けていた経験を振り返った。WOOZIに続きスピーカーとして登壇したMINGYUは、デビューアルバムの初週のセールス量が1,400枚だった頃の話をした。その頃のMINGYUは、8年後自分たちのグループがたった1年間で1,500万枚以上のアルバムセールス量を記録するだろうとは想像もできなかっただろう。ただ1,400枚でも1,500万枚でも、WOOZIはSEVENTEENが常にメンバー全員が参加する会議を開き、アルバムに収録する曲を決めると語った。MINGYUのスピーチの内容の通り、初めての精算を受け、メンバーの名前をつけたヤギをタンザニアの子どもたちに送ったことも、メンバー全員が同意した結果だ。もっと遡ると、中国人メンバーJUNがスピーチで言及した練習生の頃の話がある。当時韓国人メンバーたちはJUNと言葉が通じない状況で、ジェスチャーや表情でコミュニケーションし、彼が慣れない環境に適応できるよう応援した。

 

グループのリーダーS.COUPSは青年フォーラムに参加できなかった。現在彼はコンテンツ撮影中に負った怪我でリハビリ中だ。だがスピーチに立ったメンバーたちは、S.COUPSを含めた全員の名前を何度も口にした。名前を呼ばれるたびに不在中のリーダーの存在感がむしろ浮き彫りになり、スピーチに立っていないメンバーたちにもスポットライトが当てられた。SEUNGKWANもまた、『SEVENTEENTH HEAVEN』発表前にしばらく活動をともにすることができなかった。彼がWeverseを通してファンたちに近況を知らせ、数日後活動に復帰したのは、S.COUPSの負傷の知らせが公開される頃だった。13人にもなるグループというのは、メンバーたちにいつ、どんなことが起こるかもわからないという意味でもある。だがSEVENTEENは13という数字を、残りの12人が1人のためにその空席を埋められるというメリットに変えた。

 

「笑ってもいいし泣いてもいい」、SEUNGKWANはこの文章をメンバー全員が集まって撮った写真とともにInstagramにアップした。それからひと月前、彼は二度と会えない自身の友人に対する思いを長い文章に込めた。他人は慰めの言葉すらかけられないような喪失が自分のすべてをかき乱した時、笑って楽しかった仲間が、泣いてもいい支えとなった。済州島出身のSEUNGKWANと中国広東省深圳市で育ったJUNが、ソウルで一つのグループとして出会ったのは偶然だ。だが他のメンバーたちがJUNを異国の地で温かく励ましていたその頃から、SEUNGKWANがユネスコの青年フォーラムに立つまでに、SEVENTEENは幸運と不運すべてを幸せな必然に変えた。SEVENTEENのアルバム『FML』のタイトル曲「Super」で、彼らは「僕らは休まない 毎日」と歌った。毎年平均2枚のアルバムを出し、活動のない時期にはさまざまなオリジナルコンテンツを撮り、その他の時間にはファンたちとコミュニケーションを取るK-POPアーティストの人生だ。だが、「I Luv My Team I Luv My Crew」。彼らはこの文章をまるで呪文のように繰り返し、8年の時を乗り越えてきた。「Super」の歌詞の通り、「真実は時に残酷」だ。だが自分が笑っている時も泣いている時も、自分のグループはいつもその場所で自分を待っている。そしてグループが自分を必要とする時、何としてもグループに戻っていく。S.COUPSは怪我により参加できないと伝えられていた公演の最後に車椅子に乗って合流した。

SEVENTEENがユネスコの青年フォーラムで「God of Music」を歌った瞬間は、一種の時代精神に対する宣言のように感じられる。アルバムセールス量1,400枚から出発したグループが、1,500万枚に到達するまで、8年の間たくさんのことがあった。だが彼らは一番の高みに到達した瞬間、世の中に感謝を伝える。「この世に音楽の神様がいるのなら ありがとうと抱きしめたい」と歌う彼らは、大きな成功に酔ったり、彼らの歌「F*ck My Life」のように「このクソみたいな世の中」に恨みをぶちまける代わりに、世の中を抱きしめた。VERNONは青年フォーラムでSEVENTEENが聴かせる歌を紹介しながら、次のように語った。「お互いに学びながら一緒に成長した僕たちが、どんな音楽を作って僕たちの話を伝えているのかを聴いていただけますか」。言葉が通じない練習生たちが互いを信じさせた力。デビュー後に経験することになったすべての苦痛にも、互いに励まし合い進んでいく力。そうして成功にたどり着いた瞬間、自分たちの歌で世の中に幸せをもたらそうと決意させる力。望むことのためなら他者やコミュニティに対する憎しみさえも正当化したりする時代に、SEVENTEENは青春、友情、絆だけが夢見ることのできる共同体の力を現実で立証する。そして今彼らはその共同体の精神をクルーに、CARATに、さらには世の中に拡張させていく。JOSHUAはユネスコとともに行う教育キャンペーン「Going Together」を、「絆を通してお互いの間の学びの中で夢を叶える道」だと説明した。練習室で互いを応援することは絆で、歌を作りダンスを教えることは学びだった。そうして生きてきた10代の少年たちが、いつの間にかスーパースターに成長し、世の中に向けて説得する。僕たちのように生きてみないかと。僕と君、そして僕たち皆の誰もが当たり前ではない世界、「チームSEVENTEEN」のように。