『同じ下着を着ける二人の女性(原題)』
イム・スヨン(映画専門誌『シネ21』記者):同じ下着を着ける女性たちとはどんな関係だろうか。タイトルの意味をよくよく考えていたが、イジョン(イム・ジホ)とスギョン(ヤン・マルボク)が母娘の関係だということに気づけば、さほどおかしいこともない表現だ。二人の女性は最もプライベートなものを当たり前のように共有しているが、スギョンはイジョンの中学・高校の卒業式も何もせずに過ごすほど、娘に関心がない。無関心とうんざりを行き来する感情は、スギョンの車がイジョンに突進する事故が発生すると、鋭く光る刃物になってしまう。早い出産で自分の人生が歪んでしまったと信じる母親と、平凡な愛情を渇望するがまともに応えてもらえなかった娘の欠乏感は、社会が規定する正常な母性の範疇から外れている。顕微鏡でミクロの世界を細かく観察すると、マクロ世界を理解する手がかりが発見できるように、この映画は、繊細な感覚で母娘の戦争を透視し、関係、特に家族という特性が作るジレンマを探求していく。昨年、釜山国際映画祭5冠を皮切りに、ベルリン国際映画祭の公式招待を受けるなど、韓国国内外の映画祭で話題になったインディペンデント映画だ。
「Lord of the Flies(feat. QM)」 - Jngkn
カン・イルグォン(ポピュラー音楽評論家):急所を突く歌詞により社会の恥部、あるいは弊害を暴き出す作業は、人々がラップ/ヒップホップに魅了される最も大きな要因の一つだ。対象になる社会は、国家であることも、アーティストが属するシーンであることもある。いずれにせよ、音楽の質的な部分が伴えば、他のどんなジャンルでもなかなか聴けない快感を伝える。QMは韓国ヒップホップ・シーンでそのようなラップを繰り出してきた、数少ないラッパーだ。新人ヒップホップ・プロデューサーJngknのEP『Black Comedy』に収録されている「Lord of the Flies」でも、例の社会を見つめる鋭い視線が際立つ。韓国ヒップホップ・シーンを含む社会の暗く矛盾した断面を見透かし、その中で絡み合ったさまざまな感情を隙間なくラップに盛り込んでいる。ビートをぎゅうぎゅうと押すように刻み、淀みなく美しい流れを作り出すフロウと、明確なデリバリーも相変わらずだ。もちろんJngknの卓越したビートも賞賛の根拠だ。音の組み合わせと残響に集中したような構成、何度かの劇的な瞬間を迎えるループ、そして不快感を感じない程度に加味されたノイズまで、よく作られたアブストラクト・ヒップホップ(Abstract Hip Hop)だ。曲が終わると、ひどく厭世的であると同時に、カタルシスを与える歌詞が耳に残る。「そうやってハエになっていくんだ、その中で王になろうと思うなら糞をつけろ、どん底の色と一番似てこそなれる」。
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