#エッセイ
「Weverse Magazine」で個人的な話をするのは始めてだ。このテーマばかりはそうすべきだと思った。いずれにせよ今まで書いたすべてのレビューやコラムは私の主観だったが、この文章では特に私の個人的な考えと思いを明かす。
私は韓国生まれの韓国人だ。今は別の国で暮らしている。韓国で育った幼い頃、私は自分が韓国人だと思っていたようだ。いや、実はそもそもそんなことは考えていなかった。それが当たり前だったからだ。今の私は、自分が韓国人だという事実を意識的に考える。最近数えてみたら、今や韓国より外国で祝った誕生日の方が多かった。「韓人(海外に居住する韓国系移民)」として生きてきた時間の方がもっと長いという意味だ。今暮らしている国で、私は人種的マイノリティに属する。私を取り巻く社会は、「私たちと見た目のちがうあなたは一体誰だ? あなたのルーツはどこなのか」とひっきりなしに尋ねる。アメリカでは「韓人」または「コリアン・アメリカン」になる私は、言うなれば「境界人(Marginal person)」だ。
境界人とは、二つの集団の間で自分のアイデンティティを決められない、曖昧な状態の人を指す社会学用語だ。既存の集団を離れ、新たな地へ移住した時、昔の場所の考え方や生活習慣を捨てることができないけれども、新たな場所にもまた完全に溶け込めない、そんな人のことだ。人によって差はあるだろうが、ほぼすべての移民が境界人だ。それでは移民2世からはそうではないのか。いや違う。彼らも、両親が持ってきた故国の文化と、今生きている国の文化の間の乖離を全身で経験している。さらにその国の主流人種ではない以上、その場所で生まれ育ったといっても、いつかは差別を経験してしまう。完全に溶け込めない人種的マイノリティ。私たちは境界人だ。
境界人として私は、時に差別が私を作ったと考える。
書いてみると非常に受動的な文章だ。ともすれば、差別加害者を正当化しているかのように誤解を受けるかもしれない。だが本当にそう考える。今の私は差別で覚醒した韓国人だ。私が最初から「単独者」のように周辺の何にも影響を受けず、完全に「私」として存在していたら良かっただろうが、私もやはり人間であり社会的動物であるため、そうはできなかった。アイデンティティが差別の対象になるということは、私がどんなことをしても越えられない壁があるという意味だ。時々虚しくなる。自然の法則でもなく、所詮すべて人が作ったものなのに、なぜそうして柔軟になることができないのだろうかとも考える。ある人は差別を克服するために階層の梯子を登り、自分が主流社会に相応しい人間像だということをアピールし、涙ぐましい努力をしたりもする。私もそんな時があった。いや、今もそういう時がある。だがそんな差別が私の民族的アイデンティティをしきりに喚起させる時、私は初めに立ち返り、彼らが排除しようとする韓国人としての私を考えてみることになる。
ホワイトハウスに行ったBTS
アメリカは去る5月を「AANHPI(アジア系アメリカ人、ハワイ先住民、太平洋諸島先住民を総称する略語)の月」として記念した。5月の1か月間ホワイトハウスは、多くのAANHPIの名士たちを招待し、アジア人が経験する差別について語る場を設けた。5月の最後の日にはBTSが訪問した。対談の前の短い記者会見には、普段と異なり雲霞の如く取材陣が押し寄せた。BTSは7人が順に英語、そして韓国語で短いメッセージを伝えた。「ちがいを認めることから平等は始まると思う」、「私たちは皆それぞれの歴史を持っている。今日が、一人一人が意味ある存在としてお互いを尊重し、理解するためのさらなる一歩になることを願う」というメッセージは簡単明瞭だった。一人の韓国人記者が退場する彼らの後ろに向かって、感極まった声で「BTS、ファイト!」と叫んだ。その時の感情を何と言えばいいだろうか。私が感じる説明し難い感激を、あの人も感じたのだなと思い、彼に相通じるものを感じた。
オンライン上の世論の反応はさまざまだった。アジア人の顔をした彼らがホワイトハウスに立ち、母国語で演説をし、アメリカ大統領と単独で面談した姿に、多くのアジアン・アメリカンがインスピレーションを受けたと語った。同時にアメリカ居住者ではない彼らが、アメリカに生きるアジアン・アメリカンの代表になり得るのかと問う人々もいた。
彼らに資格がないという話ではないだろう。先に述べたように、彼らの訪問はその問題自体に多くの関心を呼び起こし、それがすなわち彼らの役目だった。ホワイトハウスのライブストリーミングのアクセス数が、通常は3桁の数字が7桁に跳ね上がったことを見れば、SUGAが以前国連の演説について語ったように、「スピーカーになって広く伝えるために行った、多くの人が見てくれたのであれば、僕たちの役割を果たしたのだと思う」と言っていた考えそのままだ。さらにBTSは、2010年代の終わりからアメリカの主流メディアで活動しながら、人種的マイノリティとして自ら差別を経験している。彼らにとってアメリカでの差別は、間接的な経験ではない。2021年アトランタのアジア人ヘイト銃撃事件以降には、#StopAAPIHateというハッシュタグをつけ、声明文を出してもいる。これは2021年の1年間、全世界で最も多くリツイートされたツイートだった。
アメリカのスポーツ専門メディアESPNの作家であり、BTSのファン、ARMYでもあるジュン・リー(Joon Lee)は、「若い頃にはホワイトハウスの演壇から韓国語が聞こえるとは想像もできなかった」と喜びながらも、実は韓国人とアジアン・アメリカン(そしてハワイ先住民と太平洋諸島先住民まで)を大雑把に一つに括ることと変わらない、アメリカの人種差別だと指摘した。韓国人とアジアン・アメリカンは、見た目は似ているが、ルーツや準拠集団が異なることもある。そのちがいを無視する差別の視線のせいで、BTS自身が住んでもいない国のヘイト・クライムに声を上げなければならない立場になっているという分析だった。彼は「BTSにそんな荷を背負わせても良いのだろうか」と問うた。ジュン・リーの複雑な思いは単に彼だけのものではなかっただろう。
私は、私たちアジアン・アメリカンたちの間でもその部分について、まだ社会的に合意が不充分だと感じる。まずアジアン・アメリカン自体だけでもあまりに巨大なスペクトルだ。欧米が「オリエンタリズム」として好き勝手に行う人種差別に、私たちは本意ではないまま東洋人、あるいは「汎アジア」として括られているが、実は「汎アジア」はあまりに粗末で雑な概念だ(アジア内で「汎アジア」と言っていた時代は、よりにもよって帝国主義の日本が植民地支配を正当化するためだった)。互いに異なる人たちが集まることを余儀なくされたからだろうか。アメリカの民権運動の歴史の中で、アジアン・アメリカンの組織化は容易くないことだった。最近右肩上がりに増えたアジア人を対象としたヘイト・クライムの氾濫の前に、私たちは急いでアジアン・アメリカンの民権の概念を再整備し、発展させなければならない状況に置かれている。だが、今も依然としてそれはかなり難しい。私は今もまだ私たちの議論が多少未熟だと感じる。だが同時にさまざまな人の努力で、きめの粗い部分を急いで補完していっているとも感じる。
韓国で暮らす韓国人とコリアン・アメリカン、あるいは故国で暮らすアジア人とアジアン・アメリカンもまた、各自の準拠集団が異なる分だけ、立場のちがいがある。アジアの国同士の関係が厳しい時も、この地のアジアン・アメリカンたちは一つになるほかない。東南アジア系、インド亜大陸系、西南アジア系、ハワイ系、太平洋諸島系なども同じだ。私たちを相手に起きる差別に立ち向かうためには、一人でも多く連帯しなければならないからだ。BTSも、韓国人である彼らと、コリアン・アメリカン、あるいは東洋人の移民たちが経験的に異なるということを知っている。SUGAとRMは、Amazon Musicのジェキ・チョとのインタビューでリー・アイザック・チョン監督の映画『ミナリ』に言及し、自分たちよりはアメリカで長い間暮らしてきたインタビュアのジェキにとってもっと感動的だったかもしれないと語ってもいる。それでもBTSは、自分たちのプラットフォームが有用であれば、アジアン・アメリカンのために喜んで使っている。私は韓人でありアジア系移民として、本土の韓国人と韓人移民のちがい、またアジア系移民同士のちがいがスペクトルとして存在し、それでも私たちは一つにならなければならないということを同時に学んでいる。難しいが希望を探し続けようとしている。
BTSが境界人である私に与えた影響
BTSの成功と人気が、私のような韓人、さらにはアジアを離れて暮らすアジア系移民たちに及ぼした影響は桁外れだ。それはファンではなくても否定できないだろう。アジア人の顔をした彼らが、アメリカのメインストリームのステージに立ち、大いに愛され、影響力を及ぼす姿は、生きている間にそのような光景を目にするとは想像もできなかったアジアン・アメリカンたちにとっては、特別な感動だ。特にこの地で育っているアジアン・アメリカンの子どもや青少年たちにとっては、私たちが子どもの頃にできなかった経験が溢れているようで、大人としてより一層胸が熱くなる。私はもはや、初めて会った人に韓国がどんな国かを説明する必要がない。それはもちろんBTSだけでなく、さまざまな分野の名士たちが各界で努力したからでもあるだろうが、私が感じるに、その中でBTSの果たした役割はとても大きい。大衆音楽は全世界の人々に比較的満遍なく訴えかける文化だからだ。今やBTSを知らない人はほとんどいない。大部分の人は彼らが韓国人で、ダンスと歌とラップに長けているということをよく知っている。アイデンティティ政治が台頭し、多様性とメディアの中のマイノリティ描写(Representation)が重要視され始めた2010年代、主流メディアでついに、頭は良いが社交性のないキャラクターや神秘的な武術家などのアジア系のステレオタイプから抜け出した、クールで深みのあるキャラクターたちに少しずつ出会えるようになったことが思い出される。BTSはそのようなキャラクターの現し身のようだった。私のような韓人、または東洋系アメリカ人にとって、BTSはただの有名ボーイバンド程度の存在ではない。永遠に崩れないかのように思われた壁が、彼らの登場により少しでも溶け崩れていっているのを目撃していると、私たちは歴史の重要な瞬間を過ごしているのだなと思う。
だがそうして華やかに浮上したBTSもまた、人種差別を避けることはできなかった。産業界のゲートキーピング(情報などのフィルタリング)はもちろん、コロナのパンデミックが拡散し、全世界的にアジア人とアジア系移民に向けたヘイトが湧き起こった時、BTSは有名人だという理由で、より頻繁に差別主義者たちの話題にのぼった。しかし私が力を得たポイントは、とてつもない数のARMYが彼らとともに情熱的に闘ってくれたということだ。その中にはBTSと同じアジア人もいたし、そうでない人もいた。だが彼らは共通して、BTSが受ける差別に当事者のように悲しみ、怒った。好きだから感じた共感は、自分の声により起こす変化、またはアライ(当事者ではないが支援、応援する人)としての連帯となった。多くの人々が発言すればするほど、集団的知性として適切な言語が登場した。その過程で以前は知らなかった言語と概念を学ぶ人たちもいただろう。全世界のARMYがともに繋いだリレーは、時にヘイターの正式な謝罪に繋がってもいる。そのような経験をした人たちは、そうでない人たちとは人種差別に臨む姿勢がどうしても変わってくるだろう。この数年間、BTSとARMYのそのような姿を見守り、私はそれだけで大きな慰めを得た。
大衆音楽の面でBTSの特に印象的だった部分は、彼らがアメリカ市場に進出してもなお、かなり長い間韓国語の歌にこだわっていたという点だった。BTSの前まで、一般的に韓国のアイドルがアメリカ市場を目指す時は、英語の歌の発売を考慮するのが当たり前の手順のように思われていた。それが悪いわけではまったくない。そのような試みが時にはひと味ちがう試みの場になったりもするだろう。ただ2010年代の終わり、パンデミック以前のBTSは普通とは異なる道を敢えて進んでみようとした。なぜだったのだろう。推測するに、BTSは歌詞とメッセージの伝達が重要な音楽をやっているからだったのだろう。だからこそ自分たちにとってより自然な言語、作詞の造形美や歌い切る遂行力において、より繊細に扱える韓国語が大切だったのだろう。特にRMの場合、既に過去多数の作業を通して、英語で長いヴァースを書き、パフォーマンスまでできることを証明しているが、彼は韓国語のリリシストとして深く根を下ろすことに、より関心があるようだ。2020年末に掲載された「Weverse Magazine」のインタビューで、彼は韓国で生まれアメリカで生涯を終えた画家キム・ファンギの言葉を引用している。「私は韓国人であって、韓国人以上のことはできない。私はこれ以上のことはできない。なぜなら私は辺境から来た人だから」。この言葉をずっと考えていると言っていた。BTSは初めの企画意図とは異なり、韓国語の音楽がまず全世界で反響を得て、世界の舞台に他者の意思によって呼ばれてきた歌手だ。グローバル・アーティストとして、リングワ・フランカ(世界の舞台で、互いに異なる母国語を使う者同士がコミュニケーションのために使う公用語。現代では英語の影響力が大きい。過去のイギリスによる広範囲の植民地支配と現在のアメリカによる世界の覇権主導もその理由だろう)である英語の音楽に邁進する道もあっただろう。だが結局彼らが深く惹かれ、探求する音楽は、彼らが生まれ育った国の言語で書かれた韓国語の歌だった。
言語は民族のアイデンティティと強く結びついている。特に韓国語のように、その言語を使用する主な人口が韓国人である言語はさらにそうだ。人にとって民族のアイデンティティが堅固なものであると、何が良いのだろうか。実質的なことはない。ただ存在論的な脅威をそれほど感じないかもしれない。すでに自身の存在に少しの疑いも抱いていない人たちにとっては、無意味なテーマだろう。だが外国での生活が長くなり、第一の言語も第二の言語も完璧ではないと感じる私のような境界人にとっては、言語の忘却とはすなわち存在の消失のような危機感として感じられる。BTSは、私のように韓国を離れてはいない。依然として韓国国籍の韓国人だ。だが世界の舞台に呼ばれた以上、彼らは境界人の経験をしたことだろう。あちこちで韓国人である彼らを排除する社会に向き合っただろうし、彼らが韓国人であることを打ち消し、自国のサブカルチャーに統合しようとする圧力にも遭っただろう(アメリカ式メルティング・ポット(Melting Pot、人種のるつぼ)の欠点は、一見境界人を喜んで受け入れているように見えるが、境界人が以前のアイデンティティを手放していない時は、ひどく差別するということだ。)。差別が私を作ったその感覚を、彼らもまた少しは感じたのではないだろうか。彼らもたびたび、境界人のジレンマについて考えながら生きているのではないだろうかと想像する。
異なるが繋がっている関係
好きで何度も見るインタビューがある。ポン・ジュノ監督の通訳として広く知られている映画業界人、シャロン・チェが、韓国系カナダ人であり、アメリカ人女優のサンドラ・オーに行ったインタビューだ。ポン・ジュノが映画『パラサイト 半地下の家族』で数多くの賞を受賞した当時、サンドラ・オーは受賞の感想を述べるポン・ジュノを見て、深い印象を受けたという。韓国人の顔をした人が、アジア人の男性が、高い壇上に上り受賞の感想を伝えながら、少しも気後れしていない様子だったことが、あまりに馴染みのないものだったというのだ(サンドラ・オーが「差別を受けない社会で生きてきた人はこうなんだな」と言うと、シャロン・チェが「(ポン・ジュノ監督は)社会において人種的マイノリティだったことはありませんね」と訂正するところまで含めて良かった)。サンドラ・オーは同時代のアジア系俳優の中でも屈指の大成功を収めてきた、すばらしい俳優だ。だがそのような人も「生涯差別の中で生きてこなかったアジア人は、こんなに自由で堂々とした姿なのだな」と気づいたということに、私は残念な気持ちと、そして相通じる感覚を抱いた。いや、むしろサンドラ・オーのように活発に活動している有名人は、より多くの差別を第一線で経験してきたのだろう。私はBTSを見ながらも同じような感情を抱く。サンドラ・オーがポン・ジュノに感じた感嘆、そして私がサンドラ・オーを見て感じる相通じる感覚、両方をだ。
一方でBTSにも、私たちのように他の大陸に渡ってきて、先に来て暮らしている人たちが助けや影響を与えているのではないだろうかとも考える。人間は未知のものを恐れる存在だ。互いに混ざり合って暮らさなければ、他の人を絶えず他者化し恐れ、結局は憎んだり排除してしまおうとする。アメリカで、あるいは欧米の他の国で、アジア人の顔で奮闘し生きてきた人たちのおかげで、そこにもアジア人の居場所ができたのではないだろうか、そこの人たちも少しでもアジア人を含む多様性について考えるようになったのではないだろうか、それが韓国のBTSにも影響を及ぼしているのではないだろうかと考える。最近サンドラ・オーが『イカゲーム』の女優チョン・ホヨンに会って行った、エンターテインメント・トーク番組の『Actors on Actors』での対談は、「その道」を先に進んだアジア系女性の洞察力と包容力を見せてくれる。チョン・ホヨンもまた、先に列挙したことと同じような、「韓国でのみ生きてきた私が、アジアン・アメリカンを代表できるのだろうか」という悩みを打ち明けている。サンドラ・オーはそんな責任感に共感し、適切なアドバイスを惜しまなかった。アジア人の顔で、先にこの地で生きてきた人として、その後に来た人たちを歓待する姿だった。一つになるために、韓国人と韓人、アジア人とアジア系移民のちがいを、敢えてひとまとめにする必要はないだろう。韓国にもう少し近い、あるいは移民国家にもう少し近いスペクトルとして存在すればいい。私たちは互いに異なるアイデンティティを持っているかもしれないが、それぞれ一生懸命生きていくことによって、互いを助けたりもする関係だ。やむにやまれず私たちは繋がっている。それもまた連帯の一つの形だと見ることができるのではないだろうかと考える。
実は文章を締めくくっている今も、このエッセイがどう受け入れられるか確信が持てていない。自分の領域外のアイデンティティのスペクトルを想像することが難しくて、私の訴えが届かない人もいるかもしれない。また、AANHPIのように集団でその名を呼ばれるアイデンティティは、政治や社会の論議によって流動的に変わりもするので、今から5年、10年経てば、この文章は今はどうにか合っていても、その時には全くちがう何かになっているかもしれない。だが寿命が尽きるまでは、私は境界人と繋がっているBTSのことを考え続けるだろう。私の考える連帯として。
*リサーチを手伝ってくれた友人Aliceに大いなる感謝を伝えます。
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