
「BTSがあなたのためにしたすべてを表す一つの単語を教えてください。何でもいいです」。BTSのとあるLGBTQ+ファンダムが載せたこのツイートに書き込まれたコメントは、BTSがLGBTQ+のARMYにとってどんな意味なのかを示す一例でもある。LGBTQ+ ARMYのLGBTQ+とは、「性的指向やジェンダー・アイデンティティなどが社会的少数者に当たる人」を意味する。彼らは、性的指向(同性愛、全性愛、無性愛など)とジェンダー・アイデンティティ(トランスジェンダー、シスジェンダー、ジェンダークィア)などに細分化される各コミュニティの一員であると同時に、BTSのファンであるARMYというアイデンティティを持つ。LGBTQ+のARMYで、ジェンダーフルイドのバイロマンティック無性愛者(Biromantic Asexual)である彼にとって、BTSが持つ意味はこの通りだ。「BTSは、僕が僕自身を愛する一番大きな理由のうちの一つでもあるが、生活、夢、休息、音楽、芸術など、ほかのすべてを愛せる理由だ」。
YouTuberで、ゲイのホセにとってBTSは、「人生における長い時間を隠れて過ごし、学校でゲイだという理由でいじめられてから、自分の周りに頑丈なバリアを作っていた」過去から脱却できるきっかけだった。BTSの音楽やメッセージ、そして彼ら自体に夢中になった瞬間、好きではないと思いつつもいろんな経験を通して不可欠にそう「なっていった」姿から抜け出し、徐々に自分を表し、自分の周りに堅く積み上げられていた「そのバリアを少しずつ取り壊し、毎日少しずつ自分自身を愛するように」なったためだ。また、彼にとってARMYは、「背景がどうであろうと、愛したい人や識別方式に関係なく、人をありのまま受け入れてくれる」存在だからこそ、自分の人生の一部であるアイデンティティと彼氏の存在を打ち明け、ほかのARMYと絆を深めることができた。このように彼らが最初、K-POP(あるいは、彼らが好きなアーティスト)に夢中になった理由の中の一つは、「成長の痛み」や「あなた自身を愛しなさい(Love Yourself)」といった、誰でも共感できる普遍的なテーマに対する感情移入だけでなく、そのようなテーマを一貫して表現する過程の中の「クィア・フレンドリー」に感じられるコンセプトなどだった。彼は自分のアイデンティティを受け入れた瞬間、「自分がしたことと自分が感じたものがすべて正しいと感じるように」なった。クィアになるということは、性別による期待に従い、固定観念に閉じ込められていた殻を破る最初の段階だったためだ。フランスに住むCARATで、ノンバイナリーのエコー(echo)は、SEVENTEENの歌が相手の性別を特定しておらず、「性中立的で、さまざまな愛を表現できるという事実」を思うと、幸せを感じる。SEVENTEENの「ROCKET」ではどの性別のパートナーも連想でき、「Kidult」は「今は大変かもしれないけど、きっと大丈夫」という大事なメッセージを伝えているように感じられる。例えば、「_WORLD」の「_」に自分が好きなものを何でも入れられるなど、SEVENTEENの曲のような特徴を持つK-POPは、聴く人が自分の経験や感情を歌に当てはめ、各自のやり方で解釈しながら数万もの意味を付与することができる。
「僕のクィアさは僕の王冠であり、誇らしくかぶりたいです」。インドネシアのLGBTQ+のMOAであり、全性愛FTM(トランス男性)のブライアンにとって、TOMORROW X TOGETHERの「CROWN」の中の「ツノ」は、自分の「クィアさ(Queerness)」だ。同曲の中の「ツノ」は、自分を受け入れるために奮闘する青少年期の子供がやがて受け入れるようになるか、または望むすべてのものになれるためだ。「Can't We Just Leave The Monster Alive?」でも反クィア社会を生きるクィアの子供として「年を重ねたら、もっと生きづらくなるとわかっていながらも、それに向き合う準備ができているかどうか確信できない」ため、時間が止まり、巨大で悪い怪物に立ち向かう大人にならずに済むことを望んでいた自分の子供時代と結びつけることができた。彼が聴くK-POPは、自分のアイデンティティをそのまま変えず、聴き手が各自の状況や感情を当てはめられる素材にできた。
ブライアンはMOAとして活動する瞬間だけは、自分のアイデンティティを隠していた、あるいは隠さなければならない現実から離れ、自分と同じ「ツノ」や「翼」を持つLGBTQ+のMOAと連帯するために、虹色のプライド・フラッグ(Pride Flag)やトランスジェンダー・フラッグで自分を紹介する。この過程で彼は、K-POPを通して自分を表現し、自分のアイデンティティについて語せる人に出会えるようになった。彼はほかのLGBTQ+ ARMYから「いつも僕を自由に表現し、制限なく僕の好きな僕になれるように認められ、励まされている」ように感じる。エコーは今まで「人にどう反応されるかわからないので、人に私のアイデンティティを共有することがいつも安全ではなく、クィアになることが時には白い目で見られたり、受け入れてもらえなかったりする社会」で生きてきた。普段、アイデンティティをすべての人に明かすわけにはいかなかったとしても、彼のTwitterのアカウントだけは「自分のアイデンティティを否定したり、嫌悪することを許容しないことができ、安全だ」と認識される。
「『なぜあなたたちの世代にはクィアが多いのか』とよく言われます。今の世代は自分たちの(年上)世代とちがい、理解できない存在だとおっしゃるんです。でも、正直な話、その世代のクィアの方々は隠れていなければならなかったわけで、今は存在を明かしているからより多くなったように見えるだけなんです」。robeは、LGBTQ+ファンダムに対する外部の視線について、このように話した。自分のアイデンティティを強く表すK-POPのファンダムの中で、LGBTQ+もまたK-POP文化を構成する一つのアイデンティティとして自分のことを表現している。全世界の多くのLGBTQ+は、自分のアイデンティティを公開できずにいたり、アイデンティティによって家族や社会に交えてもらえない場合もある。これらの問題の中のどれも彼らの選択ではなかった。一方、K-POPのファンダムの中で自分が含まれる集団、あるいは自分が仲良くする人やブロックする人を選択できるだけでも、その空間だけは安全かもしれないという印象を与えられる。さらには、彼らにとってK-POPのファンダムは、自分を表すことがいつも安全ではなかった人生の中で、自分と最も近い関心事を持つ、あるいは最も似ているアイデンティティを持つ他人に出会える機会でもある。
「僕と同じ人がいたから、少し寂しさを紛らわすことができました」というブライアンの話は、今この瞬間もLGBTQ+のうちの誰かがK-POPを聴く理由なのだろう。誰かは自分が押し入れのような閉じ込められたまま過ごさなければならなかった場所から出てくるために、またはもう独りではないという慰めを感じ、愛されているという事実を記憶するために、K-POPを聴く。そうして彼の話のように、K-POPとK-POPのファンダムが今まで耐えてきた日常に対する慰めとなり、「選択」した家族になれるかもしれない。「僕たちみんなは、僕たちが誰なのか、どう行動するか、誰を愛するかということによって疎外感を経験したことがあり、結局僕たちみんなには、僕たちのことを理解し、心から応援してくれる人たちと楽しい時間を送る資格があります。僕たちは、お互いにとってお互いが持っているすべてですから」。
無断転載及び再配布禁止