Credit
文. キム・ヒョジン(ポピュラー音楽評論家)
写真. Netflix

ヒップホップの歴史を語るとき、真っ先に思い浮かぶ名前は何といってもDJクール・ハーク(DJ Kool Herc)だ。彼は1973年、ニューヨーク南部ブロンクスの地下でパーティーを開いた。それがヒップホップの起源だ。レコード2枚を同時に使って音楽を流すDJクール・ハックの隣で、コーク・ラ・ロック(Coke La Rock)がマイクを握ってラップを披露した。彼は最初のMCとして記録された。以降、グランドマスター・フラッシュ(Grandmaster Flash)はクイック・ミックス・セオリー(Quick Mix Theory/同じレコードを2枚利用し、ドラム・ブレイク部分をより際立たせる技術)によってラッパーたちにクールなビートを提供し、2曲を組み合わせて1曲のように聴かせる技術)によってラッパーたちにクールなビートを提供し、アフリカ・バンバータ(Afrika Bambaataa)はヒップホップの4要素(ラップ、B-BOY、DJ、グラフィティ)を定義し、ヒップホップを文化として伝播させた。彼らの共通点ははっきりしている。黒人で、男性であることだ。 

 

その後もヒップホップは数多くの男性と共に発展し、成長してきた。ヒップホップの歴史はそのように記録されている。だとすれば、ヒップホップは男性の専有物なのだろうか? いや、ラップの時代が始まる前からB-BOY(ブレイクダンス)を踊り、初のフィメールMCとしてヒップホップを楽しんでいたシャーロック(Sha-Rock)、ヒップホップ初のヒット曲を生んだシルヴィア・ロビンソン(Sylvia Robinson)、威勢よくバトルラップを吐きだしたロクサーヌ・シャンテ(Roxanne Shanté)など、ヒップホップの種が発芽し、成長したその時代の中心には、当然女たちもいた。

 

しかし、女についての記録は常に周辺にある。別の場所にまとめられ、付録のように付け加えられている。女たちの歩みはいつも、男の領域を開拓したかのように記録される。ヒップホップの成長の現場に最初からいたにもかかわらず。もちろん、シーンで女が男の横にはっきり記録された事例も存在する。いわゆる「ロクサーヌ戦争(The Roxanne War)」勃発の瞬間、U.T.F.Oの曲「Roxanne Roxanne」の歌詞での話だ。

 

“I thought I had it in the palm of my hand But man oh man, if I was grand I’d bang Roxanne”

(モノにした気だった / ロクサーヌ 一発ヤりたいんだ)」

 

彼らは自分とセックスしない仮想の女性にロクサーヌという名前を充てた。その文脈は現在も続いている。「Bitch」というワードとともに。Netflixシリーズ『Ladies First:ヒップホップ界の女性たち』はこの「Bitch」という言葉の皮を剥ぎ、その内側に光を当て、問いかける。彼女たちは本当に「Bitch」と呼ばれるべき存在なのか?

 

ロクサーヌ・シャンテは「Roxanne Roxanne」に対抗し、「Roxanne's Revenge」を発表して反撃に出た。この曲は、ヒップホップ史上初のディス(dis)トラックになった。ロクサーヌが本格的にヒップホップに足を踏み入れる前は、シルヴィア・ロビンソンがシュガーヒル・ギャング(The Sugarhill Gang)の「Rapper's Delight」を制作してヒップホップ初の商業的ヒットを飛ばし、シャーロックは1977年にオーディションを通じてMCデビューした。以後、MCライト(MC Lyte)は女性初のヒップホップソロアルバムを発表し、クイーン・ラティファ(Queen Latifah)はビートに乗って「女性」を歌い、活動の幅を広げた。独自のスタイルを貫くミッシー・エリオット(Missy Elliott)は、表現の限界を乗り越えようと努力した。

 

『Ladies First:ヒップホップ界の女性たち』は、ヒップホップの歴史を女性だけで新たに描く。シャーロック、シルヴィア・ロビンソン、ロクサーヌ・シャンテをはじめ、女たちが初期ヒップホップシーンにどのような影響を及ぼしたのかを通時的に調べるところからスタートする。当然のことだが、過去の女性アーティストは現在の女性アーティストに多大な影響を及ぼしている。その紐帯をまず探ることからシリーズを始める。ニッキー・ミナージュ(Nicki Minaj)の姿にミッシー・エリオットを見ることができるように、クイーン・ラティファが女への暴力を忌憚なく語ったから、カーディ・B(Cardi B)のようなアーティストが生まれた。カーディ・Bは、黒人女性の経済的独立とセクシュアリティーをベースにしたフェミニズムを唱え、ヒップホップシーンを越えて政界にも影響を及ぼすインフルエンサーになった。

 

ヒップホップは多分に男性中心のシーンだ。このシリーズもまた、その部分をしっかり掘り下げる。例えば、女性アーティストが、ヒップホップをするためには男性集団に入らなければならなかった状況について証言する。同じクルーに属する男性ラッパーが“A Bitch is a bitch(N.W.A『A Bitch Iz A Bitch』)”というリリックをステージ上で堂々と歌っても、だ。当時のヒップホップ業界は、女性の活動に消極的だった。ほとんどのクルーで女性メンバーは「ファーストレディ」、たった一人だった。女たちの行動すべてが男たちの目によって当然のように検閲された。男のアーティストによるコラボレーションのオファーを直ちに受け入れなければ、ただちに彼女たちは「Bitch」になる。この驚くほど薄っぺらな判断が容認されていた社会だった。

 

シリーズ中盤までは、ヒップホップアーティストを目指して女たちが奮闘する姿にスポットが当てられる。その奮闘にもかかわらず、業界の雰囲気は変わる気配を見せなかった。男性中心の社会で、ヒップホップの歴史は男たちによって書かれていた。女たちの作品は見下されがちだった。それに屈せず、彼女たちは自分だけのものを守り続けた。ためらいなく声を上げ、嗜好を堂々と表明した。しかし、これもまた一つの障壁となる。露出の多い衣装を着て、性的嗜好を果敢に表明した女性アーティストたちは「売春婦(Ho)」として指をさされた。このフレームは深刻な問題として扱われた。男性アーティストが起こした問題よりも。

 

その代表的なケースが、2話(「戦う相手」)に収録されたキャッシュ・ドール(Kash Doll)のインタビューで語られる。元ストリッパーのキャッシュ・ドールは、ある高校でのライブ出演を断られた。かつて彼女がストリッパーだったという理由で。校門の前で受けた通告だった。すると彼女は、自分のハマー(HUMMER)を学校の正面に停め、その上に登ってライブを披露した。その日、校内に入った男性アーティストの中には、ジャンキーや、銃で誰かを撃ったラッパーもいた。

 

正直に言おう。私はこのシリーズが気にくわない。正確には、このシリーズが世に出ることになった経緯が気にくわない。女だけの物語をまとめたヒップホップ・ドキュメンタリーが制作されたということは、ヒップホップの歴史が50年にもなるというのに、女についてまともに話してこなかったことを意味する。複数の女が集まるなら話題にしてやってもいいと言っているようなものだ。2023年の今でも、相変わらず。

 

2020年、ミーガン・ザ・スタリオン(Megan Thee Stallion)(以下、「ミーガン」)が、トリー・レーンズ(以下、「レーンズ」)に銃で撃たれたと主張した。その日、レーンズとミーガンは、音楽について路上で口論していた。レーンズの「踊れ」という要求にミーガンが応じなかったため、足を銃で撃たれたのだ。監視カメラにその映像がはっきり残っていた。しかしレーンズは犯行を否定した。人々はこれをミーガンの自作自演だと言った。女の発言はそれ自体では力がない。いつだって、他の証人が必要なのだ。

 

ヒップホップシーンで初めてヒップホップに蔓延したミソジニー、ブラックコミュニティの女性暴力問題を真正面から扱ったクイーン・ラティファの「U.N.I.T.Y」が発表されたのが1993年だ。それから30年が経った。何が変わっただろうか? 女たちに向かう二重の物差し、検閲、性的対象化……ヒップホップ業界のミソジニーは依然として「匂いのない有毒ガス」さながらに存在している。これは社会全体においても大差ない。その時も、今でもそうだ。

 

それでも希望があるのは、少しずつ変わりつつあるということだ。ヒップホップ業界には数多くの女性アーティストが登場した。才能を思う存分発揮し、自分の物語を書いて、歌う。自分ならではの領域を構築し、互いに影響を与えあう。上の世代のアーティストをリスペクトすることはもちろん、下の世代のための多様性の基盤を築く。ヒップホップを“踏み台”にして、ダンサーになろうが政治家になろうが奉仕者になろうが、彼女たちが望む姿になれるように。

 

“Roxanne Shante is only good for steady fuckin’”

(ロクサーヌ・シャンテはヌキ専門)

/ Boogie Down Productions「The Bridge Is Over」

 

「Roxanne's Revenge」を発表した後、ロクサーヌ・シャンテはこのようなリリックに立ち向かわなければならなかった。彼女はまだ15歳だった。16歳のロクサーヌ・シャンテは、再びラップで応酬した。“And Roxanne Shante is only good for steady serving(ロクサーヌ・シャンテはきっちりヌイてご奉仕するよ)” 女たちは能力と価値について語るとき、誰かをこき下ろすやり方を選ばない。彼女たちは自分自身を定義することを知っている。自ら書き、そして歌うリリックの中心には、常に「私」がいる。彼女たちは、未来に進む方法を知っている。それゆえ私たちは、クイーン・ラティファの歌詞を借りて、この問いを投げかけなければならない。

 

“Who you callin' a bitch?(誰がビッチだって?)”