韓国の大衆文化は特定の音楽ジャンルをファッションや身振りのみで表皮的に消耗する場合がある。このような文化の流れによって最も被害を受けたと思われるジャンルを選ぶとしたら、ヘヴィメタルとディスコであろう。この2つにも違いはある。韓国内でヘヴィメタルがメディアなどによって戯画化の対象になり今の時代の中でなかなか前進できていない反面、K-POPのディスコはタイミングさえ合えば大衆が求めるときにまた戻ってくるメインスタイルの一つだ。大概「レトロ」というスローガンを先頭に置き、ディスコがディテールを担当する。しかし、1970年~1990年代の音楽の遺産が無数に呼び戻され、繰り返されていることから、これを「レトロ」と名づけることも不自然な時点にたどり着いた。もし、ディスコが今の音楽市場で失敗していたら不自然であると言えることもできない。偶然にも「レトロ」だけでは説明できないこの時期に、K-POPはグローバル音楽市場の重要な流れとなった。これが、最近リリースされたBTSの「Dynamite」、TOMORROW X TOGETHERの「Blue Hour」に繋がるBig Hit Entertainment(以下、Big Hit)のディスコを少し違う脈絡から眺められる理由である。

ディスコの歴史を「土曜の夜の熱気」から「ディスコ破壊の夜」程度に要約してみると、このジャンルは大衆的な成功を収め、自己複製を経て、ときには特定の勢力から嫌悪の対象になり、その後は没落した存在に見えてくる。しかし、このジャンルの先駆者たちにとってディスコは多様性とマイノリティの権利に対する賛歌であり、闘争の道具である。1970年代初期に活動したクラブのDJはアメリカのファンク、ラテンリズム、ヨーロッパスタイルのエレクトリック音を入り交えて、お互い愛し合おうというメッセージをダンスフロアーに降り注いでいた。舞台はもうカップルダンスではなく数百人もの人が共に楽しんでシェアする空間となった。ディスコが性別、人種、階級を超える価値を一見無害なダンストラックに盛り込んだとき、ロックをかけていたラジオのDJが主導して野球場でディスコのレコードを燃やした「ディスコ破壊の夜」は、ある程度運命に近い象徴的な事件になった。ディスコ以降もクラブ文化は生き残ったが、ディスコが黒人・ラテン・イタリアン・女性・ゲイアーティストに、どのような機会を提供したかを明らかにすることはクラブの外側の役割となった。

そういうわけで最近、多様なアイデンティティに対する嫌悪や、それに対する抵抗が世界的なイシューとして浮上する時代に、ディスコの復帰をただ希望するぐらいではなく必要であると言っているのは偶然ではない。人種や階層、ジェンダー・アイデンティティの葛藤が爆発している時代にディスコは「レトロ」ではなく、現在進行形であるからだ。大衆音楽においてアメリカでの成功がグローバル市場での成功であるならば、アジアのボーイズグループにとってその成功の道は非常に狭かった。K-POPのボーイズグループは、アメリカ文化が一般的に要求する男性像とは全面的に対峙する。だが、BTSはその道を広げた。これは多様性という側面からアジア人という選択肢をもうひとつ追加したこと以上に意味が深い。ボーイズグループ、少数人種、代案的男性性に対する偏見と差別が存在する国家で、BTSの最初の英語曲「Dynamite」がディスコで作られた点は、アメリカの大衆音楽の歴史と社会的な脈略の両面からみて意味深長である。それもこの時代に活気的な日常の喜びを描写する曲ならなおさらそうだ。TOMORROW X TOGETHERの「Blue Hour」は、爽やかさというボーイズグループのコンセプトを表現する方法としてディスコを応用したが、曲は現実なのか異世界なのか区別のつかない場所で特別な瞬間の幸せを歌っている。今回TOMORROW X TOGETHERがリリースしたアルバム『Minisode1: Blue Hour』の中に収録された「We Lost The Summer」、「Way Home」などの曲が、コロナ禍で変化した10代の日常を描いたことまでを考えると、この曲には新しい脈絡が誕生する。コロナ禍により当たり前のように過ごしてきた街の日常を奪われた10代が、束の間の幸せを歌うときディスコが流れる。これはボーイズグループと出会ったディスコの変形であり、ディスコがこの時代にもう一つのフェスティバル音楽として成り立ちうる理由についての答えである。

BTSのポジティブさ、TOMORROW X TOGETHERの爽やかさがアメリカの大衆音楽の一部煽情的な側面に対する代案として作用したという視点は正しい。しかしそれだけだとしたら、「Parental Advisory」の心配のない健全さのみが人気の原動力というのか。単純に考えて、想像を絶する感染病が流行っている時代に、人々は単に聞いているだけで幸せになれる音楽を探し求めるのかもしれない。デュア・リパ(Dua Lipa)の「Don’t star now」の音楽プロデューサーのイアン・カークパトリック(Ian Kirkpatrick)が『NYLON』で語ったところによれば、作曲陣のキャロライン・アイリン(Caroline Ailin)、エミリー・ウォーレン( Emily warren)と共にこの曲を作る前に、アメリカ郊外のとあるバーでチェック柄のシャツを着た白人のお客さんたちが「YMCA」に合わせて踊っている姿を見たという。彼らはディスコを計画していなかったという。これは謙虚ではなく時代の要求を偏見なく眺める大衆芸術家の自信に近い。今はディスコが必要な時なのだ。

Big Hitのディスコがどれほど意図的なのかは分からない。ただ、この楽しさが過去のK-POPのそれとは違い、どれほど新しくて豊富な意味合いを持っているかを語るだけだ。このディスコは「白人男性」がディスコに火をつけて自分の力を取り戻した30年前の夜に相接している。
文. ソ・ソンドク(ポピュラー音楽評論家)
写真. BIGHIT MUSIC