「メタモルフォーシス(metamorphosis)」という単語がある。「変態」を意味する言葉だ。幼体が成体になるまでの過程。昨日とは目に見えて異なる今日。さなぎを破って自由に宙を舞う蝶の姿や、「後ろ脚がにょきっと生えた」と童謡で歌われるカエルの姿が思い浮かぶ。私たちはこれを何の気なしに「成長」と呼ぶが、メタモルフォーシスは少々違う。成長が「連続」であるのに対し、メタモルフォーシスは「断絶」に近い。以前の存在はなかったものになる。やや過激に表現すれば、以前の存在を脱ぎ捨て、完全に新しい存在だけがぽつんと立っている姿に近い。
ペク・イェリンという宇宙
それは「デビュー」というより「発見」に近かった。15&(フィフティーン・アンド)として人々にその存在を知らしめた頃を思い返せば、ペク・イェリンが大衆に近づこうとしたというよりも、大衆がペク・イェリンに近づいていったというほうが近い。卓越した実力によってオーディション番組で優勝し、大きく注目されたメンバーと並んでいても、人々は2人のボーカルに等しく言及した。落ち着いたバラード、グルーヴィーなR&B、スウィングが光るアップテンポな楽曲までを見事に歌いこなし、力強い発声で広い音域を行き来した。精緻な技術の上に、包み込むような質感の音色が重なり、ぬくもりと完成度を兼ね備えた彼女の魅力的な歌声は、人々の耳を捉えた。
優れた実力はそのままスター性につながった。誰にも似ていないその声は、ペク・イェリンの声だけで満たされた曲を期待させ、そうして2015年にリリースされた1stソロアルバム『FRANK』は、その期待に十分に応えた。感性的なR&Bの旋律に乗った彼女の声は、それまでになかった新たな宇宙を生んだ。グループ活動のようなダイナミックなメロディーやテクニックはなかったが、その不在がまったく気にならない充足感があった。人々はその声に導かれ、新たに開かれた世界へと足を踏み入れた。ソロR&Bアーティスト「ペク・イェリン」誕生の瞬間だった。

「Bye bye my blue」や「Love you on Christmas」といったシングルをリリースしつつ、ペク・イェリンはその世界を少しずつ、そして着実に広げていった。大衆からの期待もより濃いものになっていった。彼女の幻想的なボーカルは聴き手の感情に見事に触れ、彼女が綴る歌詞は、尖ってすり減っていく心をどこまでも和らげ、慰めた。彼女は歌ではなく、情緒そのものとしてコミュニケーションするアーティストだった。2019年にリリースされた2ndミニアルバム『Our love is great』は、積み重ねてきたものが大きく爆ぜたようなアルバムだった。きらめくメロディーに繊細な感情の糸が溶け合った「Maybe It's Not Our Fault」、レゲエのリズムに弦楽器編成を採用したロマンチックなムードの「Our love is great」、小さなものとのつながりを願う気持ちを込めた「See You Again」など、彼女の作る曲は、それぞれ独立した曲ではなく、感情の糸、ひとつの体験を提供した。包み込むような音色、プロダクションの完成度、彼女が持つ感情の糸が、途方もない相乗効果を生んだ。そのアルバムが多くの人の心に染み入った理由だ。
その後の「Square」の成功は、彼女のアーティストとしての特性にどんな役割があるのかをはっきり示した瞬間だった。結論から書けば、ペク・イェリンはムードとシチュエーションを生むと同時に、変えることもできるアーティストだ。厳しく吹きすさぶ風もやさしく吹く春風に、激しく鳴り響く雷鳴や稲妻もひとつの舞台照明のように見せてしまう。『Every letter I sent you.』や『tellusboutyourself』と、彼女ならではの情緒的な演出は続いた。ある曲は、聴くだけで寂しく乾いた晩秋の街角にいるかのように感じられ、またある曲は、週末の昼下がりの陽ざしを浴びているように感じられた。彼女の音楽は、感情が芽吹く空間に近かった。人々も、ペク・イェリンの名前を聞けばそんな音楽を思い浮かべていた。

ひとつの名前、二度の誕生
ペク・イェリンの新作『Flash and Core』について、ある者は「実験」と評し、ある人は「冒険」と評する。彼女は、「感情」、「感性」、「繊細」、「幻想」といった言葉にぴったりのアーティストだった。彼女がこれまで奏でてきた音楽がそうだった。『tellusboutyourself』にはムードを切り替える曲があったものの、「実験」と呼ぶほどのものではなかった。それまでのスタイルから大きく逸脱するものではなかったからだ。彼女の声色が指紋のように変わらなかったことも理由のひとつだ。何より彼女の音楽を聴くと、ある状況を思い浮かべたり、ある感情が湧き出たりというように、鑑賞の方向はいつも内側へ向かっていた。だが『Flash and Core』は正反対だ。鑑賞が自然と外へ向かう。思わずリズムを刻ませ、踊らせる。
聴き手を踊らせるのは、当然ながらプロダクションの変化によるものだ。繊細で幻想的なR&Bではなく、ドラムンベースやファンク、ヒップホップなど、これまでペク・イェリンのアルバムには期待してこなかったジャンルが惜しみなく流れ出す。感性的に響いていた彼女の声色は都会的な色を帯びる。終始存在感を示すベースと鼓動のように鳴るドラム、ジャジーなブラスが重なってファンク・サウンドが完成されたタイトル曲「MIRROR」は、我々をダンスフロアへと導く。
全15曲という少なくないボリュームのアルバムが再生される約1時間、彼女は休む間もなく走り続ける。曲の楽器構成やサウンドのレイヤー数と、そこに注がれたアーティストの労苦が比例するわけではないことは承知しているが、10年近く、ミニマルなサウンドに自分の声だけを重ね、完全な曲をリリースしてきたアーティストが挑戦的に楽器の音を重ね、曲の流れに変化を与えるならば、そうして新たなジャンルに身を投じるならば、それは単なる挑戦ではなく、既存のラベルを剥がす行為に近い。

ジャンル的変化に続き、最も際立つ点はペク・イェリンという存在の変化だ。前述したように、彼女の音楽はしばしば、空間とシチュエーションを広げて見せる絵のようだった。プロダクションは画風で、声は色彩だった。『Flash and Core』が描く絵は、これまでと完全に対照的だ。声色が画風のように機能し、ペク・イェリン自身が曲の構造となって楽器のサウンドと溶け合い、音楽本来の音をよりはっきり聴かせている。
もちろん、ここまで述べたプロダクションの変化のすべてを、プロデューサーの交代として理解する人もいるだろう。しかし、プロデューサーの交代は単なるきっかけにすぎない。その中で「どんなサウンドで、どんなリズムで、どのように存在するか」を選んだのは、アーティストであるペク・イェリン自身だ。それゆえこのアルバムは、馴染み深い端正な物語に刻まれた、意図的な亀裂のように感じられる。長く自分を閉じ込めていた硬い殻を破った彼女は、まったく新しい姿で私たちの前に立っている。
ペク・イェリンのキャリアを辿っていくと、そこには断絶の瞬間がある。だが、その断絶は新たな物語の起点になっている。グループ活動からソロ活動へと足場を移しながら、新たな宇宙を創造したように。『Flash and Core』は、彼女が自ら過去の世界を引き裂き、新たに創った成果だ。馴染んだ感情の言語を手放し、身体で、リズムで、プロダクションで語りはじめた瞬間。彼女は今、自身の音楽世界を何度でも作ることのできる創造者であり、システムとして存在する。それがペク・イェリンのメタモルフォーシスだ。
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