映画界の救世主はリマスター版のリバイバル上映なのだろうか。最終的に観客動員1,000万人超えの映画なしにボックスオフィスを終了しようとしている2025年、1年間に無数のリマスター版リバイバル上映作が観客を再び迎えた。これまでのリバイバル上映が作品の○周年を祝うための一種の記念儀式のようなものだったとしたら、コロナ以降はその意図と目的が別の方向に向かうことになる。正確には劇場が果てしない時間の空白に直面したあの時から。したがって、今やリマスター版リバイバル上映は、単に技術的復元の試みだけを意味するものではない。それよりも古典と新しい世代が融合する広場、長い低迷期から回復しようとする劇場の空間的拡張、新たに再解釈される機会を得る作品と監督の基盤として、さまざまに機能し始めた。

古典と新世代が融合する広場 – 『ゴッドファーザー』から『ローマの休日』、『シュリ』まで
古典映画は作品の生命力をどのように延ばすのだろうか。新たな観客の流入がずいぶん前に遮断されてしまった、ただ名前だけが残っている映画は、リマスタリングにより命を得て、再び劇場にその名を掲げる。この秋相次いでリバイバル上映された『ゴッドファーザー』と『ゴッドファーザー PART II』は、デジタル技術を用いた4Kリマスターを経て、鮮明な画質と音質に改善された。『ゴッドファーザー』シリーズは、リバイバル上映に伴い連続上映会が企画され、上映時間が全6時間30分ほどになったが、長時間にもかかわらず全館売り切れを記録した。その他にも韓国公開70周年を迎えた『ローマの休日』は、モノクロ映画そのままにアップスケールされ、韓国アクション・ブロックバスターの草分け『シュリ』は、音響リマスタリングにより銃撃や爆破シーンを鮮明に再現した。そのような古典映画のリマスター版リバイバル上映は、その作品を大型スクリーンで観たことのない若い世代の時間を過去に遡らせる映画的体験を提供する。言い換えれば、観客はスクリーンで観てはじめて正確に伝わる作品の意図、演出手法、流れ、脈絡やメッセージなどを、遅まきながらの出合いで体験するのだ。実際、『さらば、わが愛/覇王別姫』4K修復版が元々の156分に15分を追加した理由も、デジタルリマスターの過程を通して華やかな京劇の様子をより強調し補強するためだ。本来作品が設定した方向を再整備することにより、ビデオテープやDVD、VODサービスやコンテンツ配信サービスなどの小さな画面では表現し切れなかったものを、劇場だけが引き出す。多くの専門家がリマスター版のリバイバル上映について映画館の編成表の空白を埋めるビジネス戦略だと解釈するが(実際にそれが経済的効用を立証してもいるが)、その流れは映画界の気流を変える理想的な価値を充分に示している。若い観客世代と古典映画をつなぐ広場として、結局は観客が映画に返って来ざるを得ない長期的観点の好循環構造を生み出すのだ。いわゆる「ニュービー(初心者)」がいてこそ産業が持続及び拡張できるという文化生態系的な観点から見ても、古典の再生は充分意味がある。

リマスター版リバイバル上映は劇場にどのような体験をもたらすか – 『ロード・オブ・ザ・リング』、『レ・ミゼラブル』
長い低迷期を経て、劇場は積極的な体験の場として蘇生した。『キリング・ロマンス』、『K-POPガールズ!デーモン・ハンターズ』などの、ファンが集まって映画に合わせて大合唱するシング・アロング上映会、『THE FIRST SLAM DUNK』、『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』などの、少年漫画を大声を上げて応援する応援上映などは、映画の中の世界と現実がつながる大いなる没入体験をもたらし、さまざまなファンダムの間で熱いブームを巻き起こした。また『アバター』シリーズ、『トップガン』など、触覚・聴覚を極度に刺激する作品は、IMAX、ドルビーシネマなどのプレミアム上映館で鑑賞し、自分がその世界観の中に存在しているような感覚に浸った。そのように映画館は、感覚ベースの体験提供の場として空間的拡張を成し遂げた。そういった変化に歩調を合わせ、リマスター版リバイバル上映の作品も変化し始めた。一例として韓国の大型シアターグループMEGABOXは、今年ドルビーフォーマットの『ロード・オブ・ザ・リング』三部作を初めてリバイバル上映した。これまで『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズを4Kリマスターバージョンでリバイバル上映したことはあったが、サウンドを補強したドルビーシネマバージョンは初めてだ。そのため今回の『ロード・オブ・ザ・リング』三部作リバイバル上映は特別な意味を持つ。最初の公開当時2D次元に限られていた映画は、技術の発展により鮮明な画質に生まれ変わり、今や聴覚的没入感を大いに誘う世界観へと無限に拡張されたのだ。その他にもドルビービジョンとドルビーアトモスバージョンに生まれ変わった『レ・ミゼラブル』も、昨年リマスター版リバイバル上映で観客に披露された。ミュージカル音楽としてのアイデンティティにふさわしく、生き生きとしたダイナミックなサウンドにより、作品の本質を改めて具現化したのだ。リマスター版リバイバル上映は、もはや過去の作品の画質を改善し、映画館の席を埋めることを目的としてはいない。劇場という空間性を積極活用し拡張する融合体であり、劇場のあらゆる潜在能力を引き出すことのできる触媒として、映画産業の新たな軸を作り出している。

新たに再解釈され発掘される機会の場 - 『ザ・フォール:ディレクターズカット』、『風の谷のナウシカ』
最初の公開とは異なる観点で発掘される作品もある。劇場上映が終わったらすべての時間がそのまま止まったかのように思われていた作品と監督にとって、再探索とは文字通り「機会」だ。リマスター版リバイバル上映であるため、映画館に再び名前を掲げられる貴重な瞬間でもある。まず「Long live Korean women(韓国女性、万歳!)」という名言を残したターセム・シン監督は、4Kリマスターにより18年ぶりに復活した『ザ・フォール:ディレクターズカット』で前例のない興行成績を収めることに成功した。古典的なストーリー、魅惑的な美術と舞台設定、冒険的な演出まで、劇場でのリバイバル上映でなければそれほど息をのむような美的な仕掛けを、観客は再発見できなかっただろう。「公開○周年記念」という名目のもと、すでに有名な作品を中心に行ってきたのとは異なり、まるで最近の作品を輸入・配給するかのようにリマスター版を扱うため、時間を超越した(timeless)作品選定につながることができた。したがって、映画界の低迷期にリマスター版リバイバル上映が救世主のように浮上したのは、単に「知っている味」として興行が保証されているからではなく、時代を超えた価値を継続して再発見し発掘したからだ。そのような価値を反映するように、『風の谷のナウシカ』はリマスター版リバイバル上映に際し、多くの言語的修正を経た。2000年の最初の公開当時には縦字幕に合わせていた短い台詞を、現在の横字幕に合わせて充分な量に調整し、以前は「昆虫」と表現していたものをより大きなカテゴリーである「虫」に広げて命名した(昆虫とは捉えづらい奇妙な虫も登場するためだ)。これは「ナウシカらしさ」をきちんと反映するために翻訳まで新たに重ねたケースで、「リマスター」の範囲をどこまで見るべきかという問いを投げかけてもいる。
リマスター版リバイバル上映も変化する。ビジュアル・アップグレードが選択される作品の傾向が変わり、多彩なグッズや特典、舞台挨拶など、リバイバル上映作を告知する方法も変わる。埃をかぶったシーンを受け入れる観客の反応も変わり、当時は正しかったが今は間違っているさまざまな鑑賞方法も変わる。変わるということは生きているという意味だ。映画館の活気と生命力を存続させていくリマスター版リバイバル上映は、今日の観客と映画界をそのままに映し出しながら今後も変化し続けるだろう。
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