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『イ・ソラの初めての春』が届ける慰めの言葉
今週のYouTube、映画、音楽
Credit
ユン・ヘイン、ナム・ソヌ(映画専門誌『シネ21』記者)、キム・ドホン(ポピュラー音楽評論家)
写真イ・ソラの初めての春 YouTube

『イ・ソラの初めての春』(YouTube)
ユン・ヘイン:「僕のあらゆる趣味や嗜好の始まり」。歌手イ・ソラのYouTubeチャンネル初のゲストであるコメディアンのムン・サンフンは、イ・ソラの音楽の意味を説明しつつ、こう続ける。「イ・ソラさんのおかげで知った言葉も本当にたくさんあります。『아로새기다(アロセギダ、心に刻む)』、『눈썹달(ヌンソプタル、眉のように細い月)』……」。幾重にも重なった心をすくい上げる繊細な歌詞、悲しみとぬくもりが共存する複雑な音色のボーカル。そこに、深夜の音楽番組やラジオのMC経験を積んできたイ・ソラらしい感性が加わり、人々の情緒の世界に深く影響してきたはずだ。そんなイ・ソラが今年3月、YouTubeを媒介として、再び世界との出会いを果たした。『イ・ソラの初めての春』で続く取りとめのない会話と歌は、ドーパミン過多の時代に逆らうかのように静かに流れ、深夜ラジオの感性を再現する。「みっともない恋の話や、胸が痛む恋の話。こんなことを書いてもいいのかなと思うような、大したことない気もする自分の思い」を投稿してほしいというイ・ソラは、誰かが打ち明ける恋の悩みにこう答える。「自分だけがそうなんだと思うと、余計につらくなるじゃない」。ときに歌と音楽に対する強いこだわりや執念について語り、出演したゲストたちの長所や魅力を、純粋なまなざしで称賛する。そうかと思えば、過去の一時代を共に過ごした歌手キム・ジャンフンといった人物と、20〜30年ほど前の放送業界の思い出やその舞台裏をユーモラスに語ったりもする。『イ・ソラの初めての春』には、静かにうなずきながら共感しているうちに、いつの間にかくすっと笑ってしまう独特の楽しいゆらぎがある。

「こういう人、多くないですか? 私もそうなんですよ」。イ・ソラは、誰かと疎遠になってしまうのを恐れるあまり、より親しい仲になるのが怖いという悩みに深い共感を示す。ただし、「先回りの心配が、心の重荷になってしまうんです」と述べ、無理をする必要はないが、素敵なことがやって来るのを止めないようにと話す。これはイ・ソラにしかできない、繊細な慰めの瞬間だ。イ・ソラはYouTubeのトークバラエティー『妖精ジェヒョン』を通じて、しばらく声帯結節で活動を休止していただけでなく、外出すら長らくしていなかったと明かし、自身の活動再開を次のように表現した。「以前は月の光を浴びていたとすれば、今は太陽の光を浴びているのよ」。その表現の通り、イ・ソラの言葉には、月明かりのひんやりとした質感を知る者だけが伝えられるぬくもりがある。それが、今なお人々がイ・ソラの言葉と歌を必要としている理由なのだろう。

『二人の検事』
ナム・ソヌ(映画専門誌『シネ21』記者):猫も杓子もAIを語るこの時代だが、早くからその道を外れ、映画へと進路を切り替えた人物がいる。ベラルーシ生まれ、ウクライナ育ちの監督セルゲイ・ロズニツァだ。応用数学を専攻し、サイバネティクス研究所で働いた彼は、全ロシア映画大学を経て、90年代後半から今日に至るまで30作を超える長編・短編映画を作ってきた。ドキュメンタリーと劇映画を行き来しながら、東ヨーロッパ現代史の悲哀を記録してカンヌの注目を集め、釜山国際映画祭でもマスタークラス(著名な監督や俳優が映画制作の哲学や技術、経験を語る特別講義)を行ったが、彼の作品が韓国で正式に劇場公開されたことはなかった。

『二人の検事』(原題:『Two Prosecutors』)は、そんなセルゲイ・ロズニツァのフィルモグラフィーの中で初めて韓国で公開される作品だ。同名小説を脚色したこの映画の舞台は、1937年、スターリンによる大粛清時代のソ連だ。赴任したばかりの新任検事コルニエフ(アレクサンドル・クズネツォフ)は、ある刑務所に収監された人物からの血書を手にする。鋭い監視の目をかいくぐって対面した血書の送り主は、自身の身体に刻みつけられた国家暴力を晒し、コルニエフはその事実を知らせるために検事総長のもとへ向かう。社会に出たばかりの若者、それも、自分がどんなシステムの一部なのかすら分かっていない青年にとって、その道のりは、自分だけがその全貌を知らない迷路のようでもある。向かう先々で、彼には視線がつきまとう。彼が視線を返すと周囲は静まり返り、緊張を緩めれば罠が仕掛けられる。

つまりこの作品は、時代物というよりも、時代を超えた寓話のように感じられる。戦争と独裁が絶えず、迷路が広がっていくこの世界で、善意を信じることは純粋すぎるように思えもする。ただ、昨年釜山を訪れたロズニツァ監督はこう答えた。「私が作った映画の中に希望が存在するはずはない。ホロコーストを見せながら、いったいどんな希望を語れるというのか。その代わり、私の映画を取り巻くどこかしらに希望があるとすれば、それは私が『こういった映画を作れるという可能性』の中にあるだろう」。観客としても、なすすべはない。その希望の目撃者になるほかないのだ。

「U」 - underscores
キム・ドホン(ポピュラー音楽評論家):「グッバイ、ハイパーポップ(Goodbye Hyperpop)」、「ハイパーポプティミズムの失われた約束(The Lost Promises of Hyperpoptimism)」。コロナ禍以後、ヒップスター系のメディアやSNSアカウントは、混乱と過剰を見つめながら暴走していた「ハイパーポップ」という名の音楽的潮流を、自ら葬り去ろうと努めてきた。ジェーン・リムーバーの『Revengeseekerz』は、殺したハイパーポップの肉体で作ったフランケンシュタインであり、チャーリーXCXによる黄緑色の『brat』の夏は、その魂をメインストリームへと捧げ直す営みだった。今やハイパーポップの彼らは、あれほど憧れ、似ようとしていた「ポップ」とひとつになった。アンダースコアズの『U』が、その確かな証拠だ。

シカゴ、東京、LA、バルセロナ、ニューヨークといった世界の大都市のホテルや空港、車中でひとり作り上げたこのアルバムは、最も個人的なハイパーポップの制作プロセスによって生み出されたポップミュージックだ。ハイパーポップからポップへの無意識の告白を歌う「Tell Me (U Want It)」や、ダブステップやEDMといったハイパーポップファンの需要を愛情に変える「Music」、バブルガム・ベースからジャージークラブへと移る過程を幻想的に描き出す「Hollywood Forever」が、私たちが今どこまで来ていて、これからどこへ行くべきなのかと問いかける。その答えは、ボコーダー(vocoder)のレイヤーによって積み上げられた豊かさの中の孤独によってデジタル時代のビートルズの「Eleanor Rigby」を志向する楽曲、すなわち、高度な技術的達成によって築かれた最も孤独な曲「The Peace」や、4つ打ちスタイルの「Bodyfeeling」、K-POPという異なるポップ世界との接点を模索する「Do It」が担う。

架空のアメリカ小都市という設定のもと、不完全な世界を示した『Wallsocket』の不穏さは、ポップの形式の中で巧みに機能するハイパーポップのツールによって完成された『U』において、忠実に飼い慣らされている。「永遠に君の幸せを祈るよ。これは僕が想像していたものじゃない。ただ、こうなってしまったんだ(I’ll wish you well forever, no, this ain’t what I had imagined)」。アルバムを締めくくる「Wish U Well」の丁重な別れの挨拶が終わると、恣意的に名づけられた産業上の分類やジャンルの区分は消え去る。私たちは、新世代の反乱が「ポップ」という巨大な音楽の海の中で混然一体となって漂う融解の過程を見つめている。完全な一体化を拒む新世紀の主人公は、果たして誰になるのだろうか。

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