
『匿名の恋人たち』(Netflix)
チェ・ミンソ(客員エディター):ひとりの天才ショコラティエがいる。しかし、彼女の名前を知る者はいない。視線恐怖症のハナは、毎朝ヘルメットをかぶって師匠である健二の店「ル・ソベール」に向かい、「匿名のショコラティエ」としてチョコレートを置いて姿を消す。健二がこの世を去った後、初めて「ル・ソベール」に足を踏み入れたその日、彼女は奇跡のように初めて会う誰かと視線を交わす。奇跡は彼女だけに訪れたのではなかった。店を継いだ双子製菓の後継者・壮亮は、重度の潔癖症を患っていた。しかしハナの手に触れた瞬間、その手には寒気ではなく温もりが広がる。
二人は健二の「レインボーパレット」のレシピを再現するために力を合わせ、それぞれの秘密を打ち明ける。「僕は人に触ることができないんです。でも、ハナさんは大丈夫です」。雨の降る夜、壮亮は雨の中をひとり歩くハナに自分の傘を差し出して言う。だが、雨を浴びた途端、くるりと踵を返す。「やっぱり無理です。悪いけど、このまま雨に濡れて帰ってもらえますか?」呆気にとられるハナを残して、壮亮は傘をひったくって走り去る。びしょ濡れになって壮亮を追い、ハナは言う。「私たち、お互いに助け合えるんじゃないでしょうか?」こうして二人は、お互いのコンプレックスを克服するための「練習相手」になる。時間の経過とともに二人の感情は膨らんでいくが、逃避癖のある2匹のハリネズミにとって、愛の告白は完璧なチョコレートを作るほど難しい。列車に乗りながら眠るハナのイヤホンの片方をそっと耳に当てた壮亮は、パク・ヘギョンの「告白」を聴く。耳慣れない言葉で綴られた歌詞が、心のどこかをそっと叩いたのだろうか。彼はほほ笑みながらハナに肩を貸す。各エピソードの冒頭を飾る日本語バージョンの「告白」とともに、それぞれの母語で響くラブレターは、送り主の名前を消しては書き直す。
「人生はチョコレートの箱のようなもの」という言葉がある。食べてみるまでどんな味がするか分からないという意味だ。ハナと壮亮の出会いも同じだ。二人は奇跡のような偶然によって出会い、喜びや悲しみ、ときめきなど、様々な感情をひとつずつ味わっていく。そしてついに、最も甘いチョコレートを見つける瞬間が訪れる。「チョコレートは愛なんです。大切な人をもっと幸せにしたいという気持ち」。自分が誰のためにチョコレートを作ってきたのかに気づいたハナは言う。「好きです」。「違うよ」。壮亮が答える。「これは、サラン(愛)」。二人はついに、心のチョコレート箱の最後の1ピースを埋める。そこにお互いの名前を刻みながら。

『ブゴニア』(原題)
ペ・ドンミ(映画専門誌『シネ21』記者):古代地中海の人々は、蜂が不足すると「ブゴニア」という珍しい儀式を行ったという。牛の死骸から蜂が生まれると信じていた彼らは、健康な牛を殺し、それを密閉された空間に入れてハーブを振りかけた。3週間後に窓を開けて新鮮な空気を通し、そこからさらに11日が経過すると、牛の骨と毛だけが残り、そこに多くの蜂が生まれると信じていた。実際にブゴニアが広く行われていたかどうかは不明だが、その行為の本質は現代にも通じる含意がある。目的のために他の存在を犠牲にし、その行為自体では本来の目的に届くことがない。そのような営みは、人類によって今も繰り返されている。
貧しい労働者テディ(ジェシー・プレモンス)は、自分なりの「ブゴニア」を実践しているのかもしれない。彼は、成功したCEOミシェル(エマ・ストーン)が宇宙人だという妄想に取り憑かれている。ミシェルを含む「アンドロメダ人」たちが人類を操っており、彼らを地球から追い出さなければならない。そう信じるテディは、アンドロメダ皇帝と交渉して地球を離れてもらうため、間抜けな従弟ドン(エイダン・デルビス)と一緒に宇宙人の高官(だと勝手に思い込んでいる)ミシェルを誘拐する。テディの妄想の中では、アンドロメダ人らの通信手段であるとされている髪まで刈られてしまうミシェル。地下室に縛られて荒唐無稽な主張を聞かされる彼女は、自分は「地域経済の心臓」であり「州知事よりも重要な人間」だから48時間以内に失踪捜査が始まると主張するが、テディは取り合おうともしない。「皇帝に会わせてくれ」と繰り返し要求し、一向に彼女を解放しない。テディは、ブゴニアのような荒唐無稽な儀式を行っているのだろうか。だが、ミシェルもまた、自らの目的のために人々を犠牲にしてきた事実が次第に明らかになる。では、両者のうち真に「ブゴニア」を行っているのはどちらなのか。
映画『ブゴニア』は、韓国カルト・ムービーの傑作『地球を守れ!』(2003)のリメイク作品だ。非人間化が進む労働の現場、極端に深まる両極化など、社会における数々の変化のなかで、22年前のこの物語の筋書きは当時よりも現代の観客により強い響きをもたらすだろう。また、『地球を守れ!』の衝撃的な結末を知っている観客も、『ブゴニア』が原作の鋭さを失っていないことに安堵して劇場を後にするはずだ。両作品の物語の流れはほぼ同じだが、形式面には違いがある。横長の16:9で撮られた『地球を守れ!』とは異なり、『ブゴニア』は縦横比が類似した1.50:1、いわゆるビスタビジョンで撮影された。ヨルゴス・ランティモス監督は、登場人物をフレームの中央に配置し、その周囲の環境をしっかりと映すことで、貧しいテディの自宅と余裕が感じられるミシェルの空間を印象的に対比させる。また、人物を遠くから捉えるシーンでは、上下に広く空いたフレームの余白が、人間にのしかかる圧力までありのままに伝えている。

Jacob Collier – 『The Light For Days』
キム・ヒョジン(ポピュラー音楽コラムニスト):ジェイコブ・コリアーの音楽は、技術的でありながら精密だ。一つひとつの音を丁寧に重ね、究極の調和を生み出す。楽器をいくつも積み重ね、声だけでオーケストラを完成させることもある。幾重にも積み重ねた和音にふさわしい完璧な響きのため、彼は膨大な時間を費やす。4部作の『Djesse』シリーズで自らを「ジーザス」に喩えたことも大げさとは思えないほど、彼は「創造者」という称号が似合うアーティストだ。彼は世界中の音を集め、優雅で壮大な宇宙を築き上げる。
そんな彼が今回は、すべてを削ぎ落とし、アコースティック・ギター1本を手に取った。そこに重なるのは、たったひとりの声。全11曲を収めた『The Light For Days』は、わずか4日間で完成した。自らに課した意図的な制約は、ギターのみの4日間の制作でも傑作を作り出せるという彼の天才性を証明する一方で、私たちに音楽の根本にあるものについて改めて考えさせる。音楽とは何か。ジェイコブ・コリアーは自らの音楽でこう答える。「それは、自然そのものだ」と。最初から最後まで自然の質感をまとった音が流れていく。ジェイコブは再びその中心に立ち、私たちを広大な自然の世界へと導く。
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