
「エピカセ歌謡祭」
ユン・ヘイン:「ことが大きくなりすぎた」。2026年夏のある日、EPIK HIGHの3人はYouTubeコンテンツのお悩み相談を進める中で、グループ内の人気ランキングを巡り熱い議論を交わし始めた。ついには、TABLOとMITHRAにラップで勝ってみせるというTUKUTZの挑発から、3人はソロ曲で対決することになった。半年間限定のリーダー/センターのポジションと他の2人のメンバーから「アニキ」と呼ばれる特典も懸けられた(ちなみに最年長のTABLOは、二人から今も「アニキ」と呼ばれていないため、れっきとした特典である)。TABLOはフィーチャリング・ボーカルとしてバン・イェダムを、ラップではなく歌に挑戦したMITHRAはバンド・NELLのもとを訪ねる。TUKUTZはなんとGroovyRoom、Crush、3RACHA(Stray Kids)を1曲に集めてしまった。デビュー23年目のヒップホップ・グループであり、YouTubeチャンネル登録者数188万人を誇るEPIK HIGHが歌謡祭を開催する。TABLOの言葉通り、ことが大きくなってしまった。
EPIK HIGHが「ことを大きくする」一連の過程は、事実上EPIK HIGHというチームの作動原理を圧縮的に示している。口数が多い自らを省みてインスピレーションを得ようと、テンプルステイの「無言の修行」に臨んだTABLOは、コントのようなハプニングに見舞われながらも、凄まじい没入感を持つ楽曲を書き上げる。MITHRAは、メンバーたちに内緒でバンド・NELLのもとを訪ねて曲をもらい、チャンネル登録者のための歌詞を書き上げると、地獄のようなNELLのキム・ジョンワンとのレコーディングを文句一つ言わずにやり遂げる。TUKUTZは、この歌謡祭において、ひときわ華麗なるクレジットのラインナップを誇る。彼は「BORN HATER」というヒット曲を持つプロデューサーでありながら、自らのビートがシリアスすぎるという理由でGroovyRoomを訪ねる。しばらくして彼は作詞を進める中、「20年以上ラップばかりしてきた奴ら」にラップで勝てるわけがないという危機に直面し、徹底した自己客観化と判断力を発揮して、すぐさまCrushをキャスティングしてしまう。それでもなお難航するラップメイキングのためには、Stray Kidsの3RACHAに連絡を入れる。素早く現実を受け入れつつも、決して悲観的には捉えない。(多少愚痴はこぼすものの)できることはやり抜く。「TUKUTZ的思考」を曲のテーマに掲げた彼の作業(もしくはキャスティング)の過程は、まさに「TUKUTZ的思考」の真髄だ。実際、TUKUTZがEPIK HIGHのメンバーの中でフィーチャリングのキャスティング担当であることを考えると、これは23年の経歴を持つプロデューサーとしてできる最も的確な選択であろう。フロントマンではないために、かつてレガシーメディアでは比較的スポットライトが当たりにくかったメンバーのTUKUTZが、これまでチームでどのような役割を果たしてきたのかが直観的に示された瞬間である。歌謡祭の期間中、EPIK HIGHはバラエティ的な面白さを狙って互いに妨害工作を繰り広げるが、音楽に対しては十分なリスペクトを送り合う。そうしてEPIK HIGHは、その「リアルな親友感」と音楽への誠実さをプロフェッショナルに行き来しながら、再びチームに新たな活力を吹き込んでいる。
デビューして20年が過ぎたグループが、YouTubeを通じて新たな全盛期を切り拓いた。そして「そろそろ本業に戻ってください」という声がプレッシャーとして迫り始めた頃、彼らは再びYouTubeという場で自然に自分たちの舞台を整えた。若き日の覇気やヒップホップ精神だけで創作の動力を維持し続けるのは、不可能かもしれない。しかし、YouTubeから始まった歌謡祭は、メンバーたちのInstagramでの投票PRへ、そして音源のリリースへとつながった。まもなく発表される投票結果も、またYouTubeへと回収されていくはずだ。もしかすると「EPIK HIGH 3.0」とは、こうした瞬間を指していたのではないだろうか。3人一緒なら何をやっても構わないが、何かしら創り出すだろうと語ったTABLOの言葉のように。ただシンプルに、クリエイターとしてのEPIK HIGH。

CIFIKA - 『Old Fantasy』
キム・ドホン(ポピュラー音楽評論家):素直な自分を映した音楽、内面に忠実な作品、ありのままの感情の表出。近頃のポピュラー音楽シーンでよく目にする「真正性(Authenticity)」をめぐる修辞だ。多くの音楽家が、自らの物語を余すところなく伝える誠実な音楽家であることを主張し、実際にそうあろうと奮闘している。創作者には時間が必要だ。連帯や慰めを語るまで、いかなる孤立と痛みを経てきたのか、その痛みの中で何を見つめ、何を感じ取ったのか、十分な経験を重ねなければならない。若いアーティストは、その忍耐の時間に慣れていない。経験した出来事を物語として紡ぎ出す言葉がまだ見つからなかったり、思い描いた世界を音に落とし込む力量が、心に追いつかなかったりする。このギャップを覇気で突き抜けていくことこそが、青春の美徳だ。そしてその時間を振り返り、自分が真に願い、成し遂げられる物語を確かめていく道のりを、私たちは成熟と呼ぶ。
韓国のポピュラー音楽の若きクリエイターたちが一つの時代に幕を下ろし、新たな循環へと向かう2026年の光景に、安堵感を覚える。CIFIKAのEP『Old Fantasy』もまた、そうした流れの中に置かれている作品である。デビュー10周年を迎えたCIFIKAは、今回初めて作詞、作曲、プロデュースに至るすべてのプロセスを単独で手掛け、これまでコラボレーションを通じて築き上げてきた創作観を完全に覆してみせた。かつては何十人もの人々がCIFIKAの音楽を共に作っていたとすれば、今では彼女の中に存在する数百、あるいは数千人の「CIFIKA」が仮想の楽器を演奏し、声を一つに重ね合わせている。より多く、より広く落とし込みたかった音の中から、真に心を込められる要素だけを選び抜き、残りは思い切って削ぎ落とした。
ミニマルな一人エレクトロニック・オーケストラの響きによって、CIFIKAは過去の殻を脱ぎ捨て、デビューしたての新人さながらの姿勢を取り戻す。2024年12月3日の内乱以降、不眠の夜の中で不穏で脆い自我と向き合う「Who」から、新たな意志を引き出して初恋の記憶を召喚する「Mine」、そしてライブで幾度となく演奏してきた「Passing a gossip」に至るまで、自分のみが持つ欠片に耳を澄ませる。回想は「Lullaby」のように孤独で、「HEX」のように層を積み重ねていく過程は苦しいものである。自己省察と直面、自覚を凝縮した古びた幻想から、CIFIKAはようやく自由を手にする。もはや何かに喩える必要もなく、他者の力を借りるかどうかも自ら決めることができる、完全たる自分だけの言葉で語り、歌うことのできる祝福を。
Anna Quindlen - 『アニーが残したもの』(原題:After Annie)
キム・ボクスン(作家):この本を開いた瞬間、私たちが向き合うのは、何の予告もなく世を去った献身的な友人であり母、妻であり誠実な社会人でもあったアニー・ブラウンの死である。まだ三十歳を過ぎたばかりの若さだったが、周りの誰もが彼女の善意と温もりに寄り添い、支えられて生きていた。
アニーは療養施設の入居者をはじめ、自分と知り合っていたすべての人々の人生に温かな痕跡を遺した。人生が絶え間なく予期せぬ試練を投げかけてきたにもかかわらず、彼女は最期まで周囲を照らす一筋の光のような存在だった。ゆえに彼女の死を前にして、夫のビルはどこから人生をやり直せば良いのかすら分からず、完全に道を見失ってしまう。アニーの最も親しい友人だったアン・マリーは、再び依存症という底なし沼へと沈んでいく。十三歳の長女アリは一夜にして大人になり、事実上この家族の柱となる。
アニーが突然この世を去ってからの1年間、私たちはこの3人の視線を通して、彼女のことを再び知ることになる。世を去ったアニーは、まるで現実には存在しがたい聖人のように描かれるが、彼女を見送った人々の姿は胸が締めつけられるほどに現実的だ。だからこそ、作家Anna Quindlenの新作『After Annie』は、この上なく切なくエモーショナルな物語でありながらも、決して安易な感傷へと流されない。感情をドラマチックに煽ることもなければ、軽率に慰めを投げかけることもしない。その代わりに、人々が悲しみと対峙し、その中でかすかな希望を見出していく道のりを、淡々とリアルに描き出す。『After Annie』は、アニーという一人の人間を通じ、誰かが去った後もその人が遺した愛は簡単には消えないという事実を、改めて感じ取らせる。その愛は残された者たちの心にいつまでも留まり、時には再び生へと歩み出す力となってくれるのだということも。
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