
「相棒地獄」
チェ・ミンソ:「ご職業は?」「お先にどうぞ」。特別な恋愛リアリティショーが登場した。それぞれの相棒を探しに出た5人の男たち。いつの間にか171回を超えたTOMORROW X TOGETHERのオリジナルコンテンツ『TO DO X TXT』は、『脱出おひとり島』から『私はSOLO』、『乗り換え恋愛』、『神がかりの恋愛』、『彼氏彼女いない歴=年齢、卒業します』に至るまで、数多くの恋愛リアリティショーを一堂に集めた「相棒地獄」を披露した。息つく暇もなく押し寄せるパロディを支えるのは、7年を共にし、互いを知り尽くしたメンバーたちの絶妙な掛け合いだ。「SOOBINさん、海産物に似てたけど? ああいうタイプが好みだった?」「外国人が1人いたじゃん」「ウェイン・ルーニーのこと?」恋愛リアリティショー特有のそれとない牽制や探り合いさえも、互いに向けた容赦のない冗談へと変わり、蓋を開けてみればXルームが100坪あっても足りないほど長い時間を共にしてきた「長寿カップル」だったというTAEHYUNとYEONJUNの設定も、妙に説得力を帯びてくる。だからこそ「相棒地獄」は、定番の恋愛リアリティショーの形式を借用しながらも、互いを知り尽くしているメンバーたちの関係性を基に、新たな物語を生み出している。
その分「相棒地獄」では、他の恋愛リアリティショーでは滅多に見られない珍奇な光景が続出する。「ちょっと! 僕たちお互い選び合おうって言ってたじゃないですか」と第一印象投票の事前謀議を白状するBEOMGYUと、それをあっさり無視して別の人を選ぶ、恋愛未経験と思われる「外国人」HUENINGKAI。ギクシャクしていた二人は、「戦場でも愛は芽生えるものですね」というBEOMGYUの言葉通り、次第に気が合う「嫌悪関係」カップルとなる。一方、守り神であるおばあさんの加護を受ける「霊感持ち」のSOOBINとTAEHYUNは、一目惚れカップルから「成立カップル」へと直行する。たとえおばあさんと一緒の3者恋愛になろうとも。そして第1話「相棒地獄」でTAEHYUNを選んだYEONJUNは、第2話「乗り換え相棒」で思いがけず真の主人公となる。実は、二人が新しい人を探すために出演していた「X(元恋人)」だったという反転が明かされ、第1話で完結したかのように見えた物語は、タイトル通り「乗り換え相棒」へと続く。YEONJUNはSOOBINと一緒にいるTAEHYUNの姿を目の当たりにしながらも平然と食事に没頭し、「SOOBINさんと上手くやってね」「それぞれ幸せになろう」と、TAEHYUNを手放してやる。しかし、一人残されたXルームでは「TAEHYUN…!」と叫びながら号泣する。そしてXルームには、二人がグループ活動で共にしてきた思い出の数々がそのまま飾られている。現実では仲間として積み重ねてきた時間が、『乗り換え恋愛』をパロディーした恋愛リアリティショーの文法の中では長期恋愛の思い出へと変わり、お笑いのための設定に妙な説得力を与えているのだ。
一目惚れの恋から、嫌悪関係で始まって次第に惹かれ合う恋、かつての恋人との再会、そして新しい人への乗り換えに至るまで、恋愛リアリティショーにおいて関係が築かれ変わっていく多様な様相は、今や大衆が認識できる一般的な形式となった。そして、誰もが知るその構図がごちゃ混ぜになった状況でも、それに臆面もなく没頭して演じきるメンバーたちの姿は、予期せぬ笑いを誘う。HUENINGKAIとBEOMGYUは天国島に着いた途端、何食わぬ顔で「ダーリン、行こう」と言いながら手を取り合い、チャジャン麺を食べるために居残ったメンバーたちは、霊能力者として出演したSOOBINが祀る「おばあさん」の霊がYEONJUNの肩に乗ったと言い立て、即興で冗談を交わす。アドリブと台本の区別がつかないほど自然なメンバーたちのバラエティセンスは、171回にわたり無数のコンセプトを経験してきた『TO DO X TXT』が、今なお新たな物語を生み出し続けられる理由でもある。今年で7周年を迎えたグループに、これほどの熟練さと変わらぬ情熱が共存しているとしたら、ファンとしては決して見逃したくない光景にほかならない。

『もしもの愛』
ナム・ソヌ(映画専門誌『シネ21』記者):SP重工業の解雇労働者たちにカメラを向けるドキュメンタリー監督イェジ(チョ・ヨジョン)は直感する。闘争の余波で疲弊しきったホソク(ソル・ギョング)と、彼を励ましてきた妻ミオク(チョン・ドヨン)から、有意義な物語を引き出せるはずだと。二人に食事や飲み会、さらには夫婦同伴の休暇を提供してまで距離を縮めようとするイェジの隣には、彼女の夫サンウ(チョ・インソン)が同行する。狎鴎亭で学生時代を過ごした二人は、アメリカ留学中に再会して結婚した間柄だ。サンウは、ホソクとミオクに向けられるイェジの関心を「メソッド演技」と揶揄するが、イェジはクリエイターとしての意志を噛み締めるだけだ。「私はあの人たちを愛そうとしているのよ」。
一見するとヒエラルキーの両極端に置かれている2組のカップルは、実際には4人へと徹底的に分化する。ホソクが同志たちを失って塞ぎ込んでいる間、マスク工場で正規職員として働くミオクは非正規職員である外国人労働者たちと距離を置き、サンウが代々富を享受してきたのとは対照的に、イェジはクリーニング屋を営む両親のもとで育った過去を意識している。こうしたスペクトラム以上にぞっとさせられるのは、撮る者の欲望とともに提示される撮られる者の欲望である。他者の傷跡にレンズを向けるイェジはしばしば過剰な欲を隠しきれないが、ミオクもまた被写体となる興奮を隠せない時がある。イェジがミオクの職場を撮影するシークエンスはその一例だ。決定的なシーンを求めて見回すイェジに応えるかのように、ミオクは突如として工場内で労働組合の結成をリードする場面を演出してみせる。
イ・チャンドン監督は、かねてより解雇労働者を主人公とした作品を準備していたものの、何を描き出せるのか確信を持てずにいたという。共同脚本家であるオ・ジョンミ作家がドキュメンタリー監督の目線を提案して初めて、「それは自分自身の物語でもあり得る」という思いで具体化した結晶が『もしもの愛』である。劇中のイェジは、イ・チャンドン監督自身の立ち位置が投影された存在にほかならない。その位置を自認したうえで、ミオクに象徴される群像の無邪気さに目を向けることは、かなり繊細な冒険であったに違いない。芸術が苦痛の内容を欲するとき、苦痛もまた芸術という形式を欲し得るのだと説得してみせる部分は、それゆえにより痛烈に読み取れる。それに匹敵する刺激を随所に潜ませた巨匠の新作は、9月23日に一部劇場で公開されたのち、11月6日よりNetflixにて配信される。ラストシーンの月明かりを、どうかじっくり見つめてほしい。

『Spinning in the Plane』 - Agenda X Whyahyun
ナ・ウォニョン(ポピュラー音楽評論家):オルタナティブR&BをベースとするミュージシャンAgendaと、ガラージュ・ハウス基盤のプロデューサー兼DJ Whyahyunがコラボレーションしたシングル『Spinning in the Plane』は、二人が昨年リリースした『i've got a lot of things to do』と『Crunch』の強みを、「嘘つき(Liar)」と「どうでも(Whatever)」の2曲へと凝縮させている。フォー・オン・ザ・フロアとブレイクビーツを精緻に重ね合わせ、きらびやかな音色を適材適所に配置することで、スピード感と複雑さを同時に際立たせるWhyahyunのビートの上に、耳に絡みつくフックを鋭く発声し、親しみやすいトップラインを口ずさむAgendaの声がピタリと重なり合い、聴く楽しさを増幅させている。
二人の初のコラボ曲「gill」をより直感的に研ぎ澄ませた今回のシングルは、2000年代のリズムゲームをモチーフにしたとも言われるが、個人的には興味深い点だった。『Spinning in the Plane』は、『EZ2DJ』が設置されていた当時のゲームセンターから流れてきそうな音楽を、現在の手法で想像する楽曲のように聴こえるからだ。近い過去のポピュラー音楽を記憶のままにではなく、記憶したい姿へと再構成する傾向が、2020年代ポップスの相当な部分を占めるようになって数年。ポピュラー音楽評論家のファン・ソノプがtomatomatに対して指摘したように、「実在する何かというよりは、今の時代に再召喚したい記憶の中のイメージに近接」すべく、特定の様式を「『音楽』ではなく目的を達成するための『手段』や『態度』の領域として活用」するレトロの戦略を、本作からも聴き取ることができる。
そういった意味でさらに興味深いのは、本シングルにおいてAgendaがファンとしてロールモデルにもしていたと明かしたSUMINの作法が感じられる点だ。質感と構造の緻密な過剰さによってポップスを細工しようとする方法論は、今年だけでも1:1:1の『For Real?』や、Labäda Buの『Labäda Bu』でも確認できた。このようにポップスの潜在的な未来像を描くことに長けていた手法が、昨今では様変わりした記憶法により過去を再発明するために用いられているのだろうか。「嘘つき(Liar)」は人工美が際立つよう調整された歌声の上に、ドロップとサビで多彩なソースを注ぎ込み、「どうでも(Whatever)」は軽快な2ステップのビートに鮮烈な音色のMIDIキーボードを重ねて、あからさまな歌謡曲的メロディを華やかに飾り立てる。こうして2曲は、記憶したいがままにリミックスされた「あの時代」を見事に具現化してみせるのだ。これこそが、2020年代が求めてやまない2000年代の姿なのかもしれない。その実相が「嘘つき(Liar)」のように異なっていようと、「どうでも(Whatever)」いい。ただ、どこか悲しく響く歌詞が、都合のいいように編集されてしまったあの時代の心情を代弁しているようでもある。「私を焦がした想いが 降り注ぐあの記憶が/今ではもう どうでもいいように なってしまったじゃない」。
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