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文. カン・イルグォン(ポピュラー音楽評論家)
デザイン. チョン・ユリム
大衆音楽界でアーティストが享受できる最も大きな栄誉とは何だろうか。私が思い浮かぶ答えは一つだ。伝説になること。プロモーション的に乱発される修飾ではなく、偉大な業績を残したアーティストに与えられる真の意味での伝説の称号は、選ばれし少数の者にのみ許されるからだ。だとしたら、伝説の条件とは何か。

いくつか頭をよぎるだろう。音楽賞の主要部門での受賞、チャートの新記録樹立、評論家たちが称賛する傑作を持っている等々。もちろんすべての人が共感し、同意する伝説の条件など世の中にはない。だが、絶対多数の音楽ファンが納得する確実な基準だけは一つある。「ロックの殿堂(Rock & Roll Hall of Fame)」入りすること。言うなれば、それは「伝説です」という公式認定マークをもらうことに他ならない。

1983年に設立されたロックの殿堂は、大衆音楽産業界に大きな影響を及ぼした、最も有名で影響力のあるアーティストを毎年選定し、彼らの業績を記録してきた。大部分のアーティストがそこに入ることを大変名誉に思う。もともとはロックンロールの誕生と発展、及びロックンロールを持続させることに寄与した人たちの業績を記念することが目的だったが、その後ポップス、ジャズ、R&B/ソウル、ヒップホップなど、さまざまなジャンルに範囲が拡張された。ただ、ヒップホップ・アーティストに門戸を開くまでは長い時間がかかった。ロックの殿堂が設立されて実に20年をとうに超えた2007年になってようやく、初の殿堂入りが現れた。その主人公、グランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴ(Grandmaster Flash & The Furious Five)をはじめとして、ランDMC(Run-D.M.C./2009)、ビースティ・ボーイズ(Beastie Boys/2012)、パブリック・エネミー(Public Enemy/2013)、N.W.A(2016)、2パック(2Pac/2017)、ノトーリアス・B.I.G.(The Notorious B.I.G./2020)が殿堂にその名を刻んだ。

そして2021年10月30日、オハイオ州クリーブランドのロケット・モーゲージ・フィールドハウス(Rocket Mortgage Fieldhouse)にて開かれた第36回「ロックの殿堂」セレモニーで、もう一人のヒップホップ・アーティストが殿堂入りした。その名は「レディたちはジェームズを愛している(Ladies Love Cool James)」を意味するLL・クール・Jだ。彼はドレイク(Drake)以前に最も人気のあったポップラップスターだった。

「LL・クール・Jの作品には、今まで見た中で最も多様なヒップホップが含まれています。彼はニューヨークのクイーンズを代表するルーツに忠実でありながら、ラップ・ミュージック界初のポップ・スーパースターになりました。(中略)あなたとあなたのお母さん、そしてあなたの子どもたちすべての人たちに愛される、とても希有なアーティスト!」

セレモニーでドクター・ドレー(Dr. Dre)がLL・クール・Jに捧げた祝辞は、彼がロックの殿堂入りに値する理由をよく説明している。同時にLL・クール・Jというアーティストの音楽の世界をしっかりと表現している。1985年、17歳でデビューアルバムを発表したLL・クール・Jは、今まで発表したフルアルバムだけで13枚だ。そのうち連続する4作『Radio』、『Bigger And Deffer』、『Walking With A Panther』、『Mama Said Knock You Out』と、数多くの傑作であふれた1990年代のヒップホップ黄金期に出た『Mr. Smith』などは、今日までも絶えず話題になっているアルバムだ。

特に彼を代表する作品は『Mama Said Knock You Out』だ。発表されることになった背景が興味深い。1989年3枚目のアルバム『Walking With A Panther』を発表した後、彼は深刻なスランプに陥った。急激に変わっていったヒップホップ・シーンの流れと、何人かのラッパーたちによる非難のためだった。1980年代後半から登場したギャングスター・ラッパーたちは、1990年代に入りヒップホップ界の主導権を手に入れ、彼らの基準により、いわゆる「ハードコアではない」ラッパーたちはたびたび攻撃の対象になった。広く大衆性のあるポップラップ・ヒット曲を持つLL・クール・Jもターゲットの一人だった。そのような現実に疲れていった彼は、ある日愛する祖母に悩みを打ち明けるに至る。祖母は普段から彼の才能を誰よりも信じて疑わなかった。彼がギャングスター・ラップの人気と新人ラッパーたちのディスりの間で生き残るのが難しそうだと言うと、祖母はこう答えたと言う。

「まあ、坊や。いいから叩きのめしてやりなさい!(Oh baby, just knock them out!)」

同名タイトルのシングル「Mama Said Knock You Out」とアルバムは、そうして誕生した。祖母の助言の通り、彼を非難していたラッパーたちに向け戦闘体制でラップを注ぎ込んだこのアルバムにより、LL・クール・Jはキャリアの転換点を迎えるのに成功した。そして30年を超える年月、大きな起伏なく人気を維持してきた。

少なくとも2010年代以前まで、ヒップホップの歴史の中で大部分のポップラッパーの生命はとても短かった。さらにポップラッパーとハードコアラッパーのイメージを同時に獲得し、成功した者は非常に稀だ。だからこそLL・クール・Jがドクター・ドレーの言葉のように「希有な」アーティストなのだ。彼のロックの殿堂入りを祝うステージには、ドクター・ドレーの他にもエミネム(Eminem)とジェニファー・ロペス(Jennifer Lopez)が参加した。エミネムはLL・クール・Jの代表曲の一つである「Rock The Bells」を一緒に歌い、ジェニファー・ロペスは2002年に発表した彼とのコラボレーション・トラック「All I Have」を披露した。LL・クール・Jの存在と同じくらい特別なパフォーマンスだった。ロックの殿堂入りを果たした新たなヒップホップ・アーティストであり、真の伝説、LL・クール・Jにリスペクトを表して!

トリビア

本文で言及した「Mama Said Knock You Out」は、LL・クール・Jがクール・モー・ディー(Kool Moe Dee)をディスった曲でもある。クール・モー・ディーはヒップホップの先駆者の一人で、「How Ya Like Me Now」という曲でまず先にLL・クール・Jを攻撃した。彼が自分のラップスタイルを真似しており、先駆者たちに対するリスペクトがないという理由だった。その後LL・クール・Jが反撃に出て、熾烈な攻防が繰り返されたが、「Mama Said Knock You Out」はクール・モー・ディーのディスりを迎え撃った二番目の曲だった。二人のディス合戦は1993年になってようやく終了した。